第43話 嘘と初めてのジャケットとイタリアンレストラン

文字数 1,067文字

 望に、つい嘘をついてしまった。クリスマスイブに野山のところに行くというのは、まったくの作り話だ。
 どんなに売れていても、腰が低く、気遣いを忘れない野山は、十代の少年をクリスマスイブに呼びつけるような野暮なことはしない。自分も、彼のそういう姿勢を見習いたいと思っているくらいだ。
 本当は、菜月とレストランで食事をする約束をしている。延び延びになったまま実現していなかった、イラストレーターとしてデビューしたお祝いと、クリスマスプレゼントを兼ねて、菜月が招待してくれたのだ。
「たまにはお洒落をして出かけるのもいいじゃない。いつも、お弁当ばかりだし」
 そんなふうに言って。望には申し訳ないが、この日だけは、どうしても菜月と過ごしたい。
 
 
 菜月によれば、そのイタリアンレストランは大衆的な店だというのだが、それでも、朔は緊張した。メニューには「アンパティスト」、「プリモピアット」などと書かれていて、わけがわからない。
 メニュー表に目を落としたまま戸惑っていると、菜月が助け舟を出してくれた。
「前菜は何にする? 牛肉のカルパッチョか、カプレーゼか……」
「じゃあ、カプレーゼを」
 それならば、トマトとモッツァレラチーズのサラダだと知っている。
「それじゃあ私は魚のフリットにして、シェアしようか」

 そんなふうにして、相談しながらデザートまで決めて行き、注文を終えると、やっと少し落ち着いて来た。今日の菜月は、ワインカラーのツーピースと毛先をカールさせた髪が、クリスマスらしくてとても美しい。
 目が合うと、微笑みを浮かべながら菜月が言った。
「今日は大人っぽいのね」
 特別な日なので、初めてジャケットを着て来たのだが、似合っているかどうか自信がない。
「変ですか?」
「そんなことない。とっても素敵よ」
 うれしいのと照れくさいのとで、頬が熱くなる。
 
 
 料理が出て来ると、今度は食べ方がわからなくておろおろしたが、菜月がナイフの使い方などをさりげなく教えてくれた。食べ進むうちに緊張も解け、菜月と言葉を交わしながら、料理も、デザートのアフォガードも楽しむことが出来た。
 食事が終わると、コーヒーが出て来た。店員が去った後、朔は、菜月に頭を下げながら言った。
「すごくおいしかったし、とても楽しかったです。今日は本当にありがとうございました」
 菜月が微笑む。
「影森くんが楽しんでくれたならうれしいわ。私も、とっても楽しかった。また来ましょうね」
「……はい」
 朔は思う。あぁ、自分は今、とても幸せだ。もしかすると、今まで生きて来た中で一番幸せかもしれない。
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