第17話 物思いに沈む望と目元をぬぐう陽太と朔が仕事を辞めた理由

文字数 1,035文字

 二人はキッチンで、陽太が淹れた紅茶を前に座っている。
「そんなに落ち込まなくていいよ。実はさ、僕も、朔ちゃんが突然仕事を辞めた理由は知らないんだ」
 陽太が、驚いたようにこちらを見る。
「体調が理由じゃないんですか?」
「多分、それだけじゃないと思う」
 体調がよくないことだけが理由ならば、聞かれて言葉を濁す必要はないはずだ。あんなふうに、自分の作品を、一つ残らず目につかないところに片付けてしまう必要も、何より、突然マンションを引き払ってここに引っ越して来る必要も。
「一応聞いてはみたんだけど、何も話してくれなくてね。朔ちゃんは、いつもそうなんだ……」
 こんなに心配しているのに、少しでも支えになりたいと思っているのに、ちっとも心の内を見せてくれない。
 
 物思いに沈んでいると、陽太が言った。
「僕、クビですか?」
「え?」
「朔さんを怒らせちゃったから……」
 望は微笑む。
「朔ちゃんは、別に陽太くんのことを怒っているわけじゃないと思うよ。それに、陽太くんを雇っているのは僕だからね。
 僕は、これからもずっと陽太くんに来てもらいたいと思ってるけど」
 そう言うと陽太は、顔をくしゃくしゃにしながらうなずき、手の甲で目元をぬぐった。
 
 
 昼近くになり、二人で昼食の用意をしているところに、着替えた朔が下りて来た。
「朔ちゃん、気分はよくなった?」
「あぁ」
 望の言葉にうなずいてから、朔は陽太のほうを見る。陽太が、身を固くするのがわかった。
「さっきは悪かった。つい感情的になって大人げなかったと思う」
「いえ、そんな」

 朔は、望の顔をちらりと見てから、陽太に向かって話し始めた。
「俺が仕事を辞めたのは、絵が描けなくなったからなんだ。それで、決まっていた仕事をすべてキャンセルして、逃げるようにここに引っ越して来た。
 今は、自分の絵を見ることも辛い」
「朔ちゃん……」
 思わずつぶやくと、朔がこちらを見た。
「今言えるのは、それだけだ。望にも、今までちゃんと話さなくて悪かったな」
 鼻の奥がツンとする。
「そんな、いいんだよ。でも、よかった」

 朔と陽太が、不思議そうに望を見る。
「だって、こんなことがなかったら、ずっと朔ちゃんが仕事を辞めた理由がわからないままだっただろ。これってやっぱり、陽太くんのおかげかな」
 微笑んで見せながら、頭の隅で考える。だけど、絵が描けなくなったのには、それ相応の理由があるはずだ。
 それは、今はまだ話すことが出来ないのか。いつか話してくれるときが来るのだろうか……。
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