第39話 二人で流す涙と「僕だけの先生」と小指と小指を絡めること

文字数 1,013文字

 菜月がこちらを見る。
「何年も前から、君とお母さんが虐待されていることを知りながら、なんの手も打とうとしなかった」
「でも、それは」
 朔が、放っておいてほしいと涙ながらに懇願したからだ。
「君がどんなに嫌だと言っても、それを振り切って、私は行動を起こすべきだった。一人では満足なことが出来なくても、行政や、たくさんの人の手を借りれば、早く確実にあなたたちを救うことが出来たかもしれない。
 いえ、きっと出来たわ。それなのに、どうして私は……」
 菜月は、両手で顔を覆った。しばらくの間、二人はシートに座ったまま涙を流した。
 
 
 やがて、泣き疲れ、いつしか涙も止まった朔は、菜月に声をかけた。
「先生」
 菜月が、顔を上げる。彼女も、今はもう泣いていない。
「ずっと聞きそびれていたけど、今年の美術部員は何人ですか?」
 菜月が、ふっと笑った。
「それが、ついに一人もいなくなってしまったの」
 つまり、新入部員は入らなかったということか。
 
「誰もいないからと言って、廃部になるわけじゃないの。入部希望者がいれば、いつでも再開できるのよ。
 学校で、そういう決まりになっているから。でも、今のところ、希望者はいないわ」
「それなら」
 朔は、体ごと菜月のほうを向いた。
「それなら、僕だけの先生になってください」
 菜月が、はっとしたように朔を見つめる。
 
「もちろん、美術の授業中はみんなの先生でいい。でも、それ以外は……」
「影森くん」
「寂しくて、一人ではいられない。先生、お願いです。僕のそばにいてください」
 菜月は、なかなか答えてくれない。
「……駄目ですか?」
 少しの沈黙の後、菜月が口を開いた。
「わかったわ」
「……本当に?」

 すると菜月が、右手の小指を差し出しながら言った。
「約束する」
「先生……」
 朔は、菜月の小指に自分の小指を絡める。再び、目に涙が滲む。
 たとえそれが同情でも、母が死んでしまったことに対する後ろめたさのせいでもかまわない。理由がどうであれ、菜月がそばにいてくれるならば。
 
 
 その日以来、二人は毎日連絡を取り合うようになった。仕事に煮詰まり、朔が弱音を吐くと、菜月が車で迎えに来て、外に連れ出してくれる。
 朔は、人の多いところに行くことをあまり好まなかったので、高速道路をドライブしたり、郊外に行って、菜月が作って来てくれた弁当を食べたりした。菜月と一緒に過ごしてリフレッシュした後は、またがんばって絵を描くことに集中出来るのだ。
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