第28話 朔の夢と進路希望と二人きりで出かけること

文字数 1,004文字

「影森くんの夢は?」
「それは……」
 夢がないことはない。だが、今はそれよりも優先したいことがある。朔は、思い切って言った。
「中学を出たら、働きたいです」
 お金を稼いで、早く自立したい。そして、父の支配から逃れるのだ。
「影森くん……」


 だが、進路希望の用紙に「就職希望」と書いて提出したことが父に知れると、罵声を浴びせられ、殴られ、足蹴にされた。影森家の一人息子が中卒でいいわけがないというのだ。
 勝手なことは許さない、お前のようなガキが自分で稼ぐなど百年早い、アルバイトをすることも許さないと言われてしまった。これで、高校に進学しないわけにはいかなくなった。
 三年後、高校を卒業して働くと言えば、また同じことが繰り返されるのだろう。影森家の一人息子が高卒でいいわけがないと言われ、立てなくなるまで痛めつけられるのだ。
 母も、働くことを禁じられている。影森家の嫁が、外に出て働くなど世間体が悪い、金なら自分が十分すぎるほど稼いでいるではないかと。
 世間体とはなんなのだ。何が楽しくて、父は自分たちを虐げるのか。自分と母は、父に縛りつけられ、永遠に自由になることが出来ないのか……。
 
 
 後日、やはり高校に進学することにしたと言うと、理由を知らない菜月は喜んだ。
「そうね、そのほうがいいわね。きっと高校でしか学べないことも、高校でしか得られない経験もあると思うわよ。
 今より視野も広がって、新たにやりたいことも見つかるんじゃないかな」
 朔はただ、うなずくことしか出来なかった。自由を得られないならば、せめて中学に通う間は、菜月との時間を大切にしたい。
 一秒でも長くそばにいて、その姿を見て、声を聴いて、菜月を感じていたい。そして、彼女の絵を描き続けるのだ。
 
 
 その年の夏の合宿は中止になった。いくら教師と生徒とは言え、男女が二人きりで泊りがけの旅行をするわけにはいかない。
 だが、その代わりに、菜月が美術館に連れて行ってくれることになった。部活動の一環とは言え、菜月と二人で出かけることは、まるでデートのようだと思い、前の晩、朔はドキドキして眠れなかった。
 当日、待ち合わせ場所に向かうと、淡いブルーのワンピースを着て、日傘を差した菜月が立っていた。一瞬、立ち止まって見惚れた朔は、すぐに我に返って近づく。
 朔に気づいた菜月が、にっこり笑いながら、胸の前で手を振った。夏の太陽のせいだけではなく、体が熱くなる。
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