第53話 ベタなデートと吹き荒れる風と初めてのキス

文字数 802文字

「今着いたわ」
 いつものように、マンションの前に到着した菜月から電話が来た。
「すぐに行きます」
 朔は、話しながら玄関に行き、靴を履いて部屋を出る。
 
 
 車を出しながら、菜月が言う。
「どこか行きたいところはある?」
 朔は、あらかじめ考えていたことを口にした。
「海に行きたいです」
 菜月と、誰もいない砂浜を歩いてみたい。我ながらベタだと思うが、晴れて恋人となった菜月と、デートらしいことがしてみたかったのだ。
「いいわね。じゃあそうしましょう」


 途中、高速道路に乗って、一時間ほどで海辺の町に着いた。二人は海岸沿いの駐車場に停めた車から降りて、砂浜へと向かう。
 だが、真冬の海は、黒々とした波がうねり、冷たい海風が吹き荒れていて、ロマンチックな雰囲気とは程遠い。
「きゃっ」
 風になぶられる長い髪を押さえながら、菜月が小さく悲鳴を上げた。
「大丈夫ですか?」
 朔の声に、菜月は少女のような笑顔を向ける。
「ちょっと寒いね」

 それでも二人は、吹きすさぶ風の中を歩き始めたのだが、ヒールのついたブーツを履いた菜月が、すぐに砂に足を取られてよろけた。
「先生!」
 朔が思わず手を伸ばすと、菜月が、その手につかまって言った。
「ありがとう」
 そのまま、菜月の細く冷たい手を握って歩く。強い風が襟元や袖口から容赦なく吹き込み、凍えるほど寒いのに、胸の辺りが内側から温かい。
 菜月の手の感触を全身で感じながら、朔は思う。あぁ、幸せだ。
 
 このまま、どこまででも歩いて行けそうな気がしていたのだが、ほどなく菜月が声を上げた。
「寒い! もう駄目」
 朔は、強風から菜月を庇うように、風上に回り込んだ。
「先生」
 菜月が、朔の顔を見上げる。朔は、菜月の両肩に手をかけ、そっと顔を近づける。
 はっとしたような顔をした後、菜月は目を伏せた。朔は、さらに顔を近づける。
 唇と唇が重なった瞬間、たった今までごうごうと鳴っていた風の音がぴたりと止んだ。
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