第81話 朔の言葉に涙を滲ませる望をいつもの調子に戻って問い詰める朔

文字数 923文字

 朔がかすかに微笑んだ。
「望には、感謝してる。マンションにいたときも、いつも望が来るのを楽しみにしてた。
 望がいる間は、仕事の疲れも、過去の嫌な記憶も、一人の寂しさも忘れることが出来た。望の料理も、叔母さんの総菜もおいしかったし」
「ちょっとやめてよ。急にそんなこと言われたら、僕もまた泣いちゃうよ」
 実際、じわりと涙が滲む。てっきり朔は、仕方なく自分を受け入れてくれているのだとばかり思っていた。
 
 だが、知らなかったとはいえ、虐待されている朔を助けられなかった分、これからは、たとえ嫌がられても、なるべく彼の近くにいて、何かあったときには力になりたいと思い、ずうずうしく押しかけ続けていたのだ。
 もっとも、今回のことも、まったく恋人の存在には気づかず、結局、何も出来なかったが。それなのに、感謝しているなんて言われたら……。
「あっ」
 望が、そっと指で目尻をぬぐっていると、突然、朔が声を上げた。
「何?」

 朔は、いつもの調子に戻って言う。
「さっきの話の続きだけど、俺はともかく、なんで望まで叔父さんと叔母さんに黙ってここに引っ越して来たんだよ」
「いや、それはさ。だって、早く行動を起こさないと、朔ちゃんに来るなって言われたら困ると思って焦って……」
「それにしたって、事後報告しようとは思わなかったのかよ」
 望は、口を尖らせる。
「そんなこと、朔ちゃんに言われる筋合いはないよ」

 実を言うと、両親のことは失念していた。一人暮らしを始めてからは、あまり連絡していなかったし、両親からも、何か用事でもなければ連絡は来なかった。決して仲が悪いわけではなく、そういう家族のスタイルなのだ。
 多分両親も、蜂須が雇った探偵に話を聞かれて、初めて望がいなくなったことを知ったのではないだろうか。そういえば最近は、電源を切ったスマートフォンは、二階の部屋のどこかに置いたままだ。
 
「とにかく、連絡しておけよ」
 偉そうに言う朔に、望も反論する。
「朔ちゃんこそ、野山先生に連絡したら? 蜂須さんも言ってたでしょ」
 だが、言った途端、朔の表情が曇った。自分と朔では深刻さがまったく違うと思い、すぐに後悔する。
「あっ、ごめん……」
「いや。だけど、なんて言ったらいいのか……」
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