第20話 支配されることと幸せの象徴と小さな光が射すこと

文字数 1,030文字

 余計なことを言ってはいけない。口答えをしてはいけない。命令にはとにかく黙って従う。余計なことを考えてはいけない。
 なぜなら、それが自分の身を守る方法だから。
 だが、この世の中に絶対などない。どれだけ注意を払っていても、いつ何が逆鱗に触れるかわからない。
 なぜなら、すべてはあいつの気分次第だから。あいつは、とても気まぐれで残忍だから。
 ほんの些細なきっかけで、張り詰めた静寂が、一瞬のうちに地獄へと変わる。
 
 
 それがいつからなのか、なぜなのか、朔は知らない。物心がついた頃、すでに朔と母は、彼に支配されていた。
 人当たりがよく、優秀で稼ぎのいいビジネスマンは、一歩家に入ると、冷酷な暴君と化す。朔と母は、父の暴力によって支配され、束縛されていた。
 何が理由なのかよくわからないまま、殴られ、暴言を浴びせられ、大人になる前から心は死にかけていた。
 唯一の慰めは絵を描くこと。好きな絵を描いているときだけ、辛い現実を忘れることが出来た。
 
 
 一年のうちに何度か、親戚同士が集まることが楽しみで、いつも心待ちにしていた。
 親戚の前で、あいつは好人物の仮面を被り、そのときだけは、朔も母も暴力の危険にさらされる心配がない。もっとも、三人だけになったときに、あいつは言葉で朔たちを抑えつけることを忘れなかったけれど。
 
 あいつの弟である叔父は、夫婦で食堂を営んでいて、明るく穏やかな人だったが、朔は心の中で、あの人も、家ではあいつのように家族を支配しているのだろうかと思っていた。だが、彼の息子である、二歳年下の従兄弟の望を見て、その考えが変わった。
 望は無邪気で自由で、今まではしゃいでいたかと思えば、両親に甘えてまとわりついて、気に入らないことがあれば声を上げて泣きじゃくる。それは、両親の愛情を存分に受けている子供ならではの態度のように感じられたのだ。
 その態度は、たまにしか会わない朔に対しても同じで、いつも顔を合わせてから、ものの数分で、すぐに懐いて甘えて来た。そういう望がかわいくて、彼と会い、数日を一緒に過ごすことも、大きな楽しみの一つだった。
 望は、朔にとって幸せの象徴だった。
 
 
 だが、あいつの両親である祖父母が相次いで亡くなり、それに伴って、親戚で集まることも滅多になくなった。朔の数少ない楽しみの一つがなくなり、望と会うこともなくなった。
 絵を描くことが唯一の楽しみとなった朔は、中学生になり、美術部に入部した。朔の人生に、小さな光が射した。
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