第77話 違う便箋と突然悟ったことと締め切り

文字数 1,043文字

 床に座り込んで手紙を読んでいた朔の目から、ボタボタと涙が落ちる。なんだ、これ。もういないって、どういう意味だ?
 そのときふと、二重になっていた外側の封筒から、菜月の手紙とは違う便箋がのぞいているのが目に入った。震える指でつまみ、広げてみると、何か書いてある。
 
 
 私は菜月の幼なじみです。
 入院して治療を続けていた菜月は、容体が急変して、息を引き取りました。
 彼女と約束した通り、この手紙を送ります。
 彼女の強い要望で、くわしいことをお伝え出来ず、無記名で送ることをお許しください。
 
 
 ……嘘だろ? 息を引き取ったって、だって、もうすぐ会えるって書いてあるじゃないか。
 プロポーズするって、それなのに、息を引き取ったとか、詳しいことはお伝え出来ないとか、いったいどういうことなんだ……。
 書いてあることが、まったく理解出来ない。それなのに、後から後から涙が溢れて止まらない。
 いつの間にか辺りは真っ暗になり、手紙の文字も見えなくなった。
 
 
 朝方、思いついて、タクシーで菜月のマンションに行ってみた。すると、最後に来たときにはあった、玄関脇の「弓岡」のネームプレートが取り外されている。
 つまり、ここはすでに引き払われているということなのではないか。あぁ、なんということだ。
 朔は、突然悟った。菜月が亡くなってから、すでにもう時間が経っているのだ。おそらくは、連絡が途絶えた前後には、もう。
 迂闊だった。もっと早く気づいていたら、もっと早くここに来ていたら、あるいは真実を知る手立てがあったかもしれないのに!
 
 
 待たせておいたタクシーで部屋に戻り、ベッドに倒れ込むと、それきり動けなくなった。ただ、涙だけが溢れる。
 体はくたくたに疲れている。出来ることなら、何もかも忘れて眠ってしまいたいと思うが、一向に眠気は訪れない。
 もう二度と菜月に会えないなんて、まだ信じられない。本当にこんなことがあるのか? 悪い冗談じゃないのか? 
 きっと元気になって戻って来ると、それまでの辛抱だと、ずっと会いたい気持ちを我慢して、孤独と不安に耐えていたのに……。
 
 
 起き上がると、頭痛と、軽い吐き気がした。どれくらいベッドにいたのか、今が何時頃なのか、確かめる気にもなれない。
 だが、締め切りが近い仕事がいくつかある。野山の表紙の仕事は、一から描き直しているところだ。
 朔は、なんとかベッドから出ると、冷蔵庫からミネラルウォーターのボトルを出して飲み、シャワーを浴びるため、バスルームに向かった。
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