第8話

文字数 1,796文字

 不意に、沈黙が破られた。
 本堂の奥から大柄な茶色い作務衣を着た男がお盆に湯呑みを三つ乗せて現れた。その男は年の頃なら五十代か。立派な体躯で腕は太く、毛深い。顎には無精髭がたくわえられていた。
 いかにもワイルドな風貌に、亮介は圧倒された。
「やぁ、こんにちわ」
 その男はよく通る低い声で挨拶をした。
「君が中川亮介君か。子供たちがご迷惑をかけてしまったようで。申し訳ない。さぁ、立ち話も何だからお茶でも飲みながら、どうぞ。」
 遠くまで届くだろう大きな声は本堂の障子を震えさせた。
 三人はその場で車座に座り、それぞれの前に床に直置きで湯呑みが置かれた。本堂の畳敷きの床は程よく冷たく、ここまで歩いてきた熱い体をゆっくりと冷やしてくれるようだ。
「私は織田良観です。慶長と恵の父親で龍告寺の住職ということになります。」
 良観は深々と頭を下げて
「よろしく」
 とニッコリ笑った。
 その笑顔は浅黒いよく焼けた肌に白い歯がキラリと光り、いかにも健康そうで見栄えが良かった。
 亮介は良観の運んできたお茶を一口飲んで喉を湿らせた。そして、
「どうしてこのお寺の御本尊は食べ物にまつわるものばかりなのですか?」
 思い切って亮介は聞いてみた。
「その理由はこの寺に伝わる話を聞いてくれれば理解できるかと思う。」
 良観はゆっくりと語り出した。
「ウチの寺は代々この薬師如来様を御本尊として祀っているお寺なんだ。この薬師如来様は医食同源、つまり、食べることは医療と同じかそれ以上の効果があるとされてきた。それは健康な土と美しい水があってこそのことだ。我々の食事は地と水に導かれるように自然の中で育まれてきた。しかし、いつの頃からかそれを良しとしない輩が出てた。人間を忌み嫌い、人々を不幸のどん底にたたき込もうとする連中が。奴等の狙いは我々の食事に毒をもり、人間を自由に操り自分たちの好きなようにこの世の中を支配することだった。この者達はマノコと呼ばれた。マノコは人々の心に隙間を作りその隙間に入り込むことで人々を意のままに操ろうとしていた。マノコのマは隙間の間とも悪魔の魔とも呼ばれている。」
「ほう。なんだか、伝承系のお話ですね。」
 亮介が相槌を打った。
「我々のご先祖様はこの者たちと壮絶な戦いの末、北の山にその者たちの邪心を封印する事に成功した。ご先祖様達は、この地に寺を建てて、あの北の山を見張ることにした。再びマノコが復活しないように。」
「なるほど。それで薬師如来達は食べ物に関する物を持っているのですね。」
「左様。我々にとって最も大切なものは食べること。まぁ、マノコ伝説は一つのお話と思って聞いてくれていいのだけども、食事に何か良からぬものが入ることは到底許されない。きっと御本尊はこの事を忘れないようまた戒める為に大皿の上に立ってらっしゃるのだろう。」
 良観は真っ直ぐ亮介の目を見ながら話した。ギョロリとした大きな目で睨まれると、心の奥底まで見透かされているようであった。
 一通り、龍告寺の話を聞いた亮介は広い境内を案内してほしいと頼んだ。
 亮介は特に仏教や仏像に興味はない。家も無宗教で初詣に行き、お寺で法事は行われ、十二月にはクリスマスをするごく普通の家庭で育ってきた。
 しかし、この不思議なお寺には興味が湧いていた。
 龍告寺の境内は全てが食にまつわるもので出来ていた。塔頭も、講堂も、門の装飾も全てが何らかの料理が関係していた。
「茄子の辛子漬けに取り付いていたマノコは小さな女の子の形をしていたけど、あれはどういうことなのですか?」
 亮介は先日のマノコについて聞いてみた。
「アレは、取り付いてすぐのマノコだったのです。食霊とも言われています。マノコは人型をしていますが食霊は形のないモヤモヤしたものです。食霊は辺りに漂っていますが、どこかのタイミングで食材にそれが取り付きます。そうすると次第に食霊がマノコとなり長く食材に潜伏しているとまた徐々に形が崩れ、食材と同化してしまいます。そうなると、我々でも手出しはできません。少なくとも人型の状態で、できれば食霊の間にマノコを取り出す必要があるのです。」
 早くナスの辛子漬けから食霊を取り出さなければマノコにとりつかれる人が少なからず出てくるということだ。だから、慶長は焦っていたのかと納得がいった。
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