第77話

文字数 905文字

「ああ。もうここには戻ってこないと思っていたが」
 通玄は振り向かずに答えた。
「お前が出て行ってからどれくらい経っただろうか」
「八年」
「そうかそんなになるか。死んでいるのか生きているのかさえわからないままだったな」
 通玄はなにも答えない。
「バカヤロウ!そのおかげでどれだけコバトが寂しくて辛い思いをしたと思っているんだ。四歳だぞ。コバトがウチに来たのは四歳だぞ!四歳で母親を亡くしたんだぞ!」
「遊里子は、どうだった?」
 通玄は絞り出すように聞いた。
「壮絶な最後だった。でも、俺は子を守る母の強さと美しさがあったと思っている。遊里子ちゃんは最後までコバトを守ろうと耐え、必死にもがいたよ。」
「そうか」
 通玄の肩が震えている。
「遊里子ちゃんは強いひとだった。こんな因習を断ち切ろうと、断ち切れると信じてた。お前とコバトと三人なら。もしそれが叶わないとしても、コバトには幸せになってもらいたいと。遊里子ちゃんはわかっていながらコバトのために全てを受け入れ、必死に痛みをこらえたんだ。」
 通玄の肩の震えが止まらない。
「コバトは、今、あの子はどうしている?」
 絞り出すように通玄は言葉を出した。
「奥の部屋で一人で寝ている」
「そうか。明日はコバトの誕生日だ。十二歳になる。もうそろそろだろ」
「ああ。でも、コバトには会わせないぞ。俺はあの子を自分の子供として育ててきた。コバトもそうだ。ここの連中はみんな家族だ。今さらお前が戻ってきてもあの子の中でお前の居場所なんてどこにもなにもない」
「ああ、わかっている。俺にそんな資格なんてないことなんか。でも、これをコバトに与えて欲しい」
 通玄は薬師如来の前に置いていた小さな布でできた巾着袋袋を良観に手渡した。その巾着袋袋は親指より少し大きめの玉砂利が一つ入るくらいのサイズだ。良観は巾着袋の中をあらためた。
「お前、これは…」
「見つけたんだ。八年もかかったけど」
「相手は?」
 良観は巾着袋のまま薬師如来の前机に置き、手を合わせた。
「わからない。でも、必ず近くにいる。やっとこれで終われる」
 良観を見る通玄は哀しく強い目をしていた。
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