第86話

文字数 1,196文字

 ボヤ騒ぎがあったので、フライヤーの油はきれいに抜かれていた。明日新しい油をここに注ぎ込むのだろう。足元には業務用油の四角い缶が四つ並べられていた。
 事務所の扉の小窓からは明かりが漏れている。ドアの裏側にシフト表が貼られているので確認するのには必ず事務所の中に入らなければいけない。
「失礼します」
 亮介は普段通りの挨拶をして事務所の扉を開けた。
 事務所はぐるりとコの字型にロッカーや本棚が並べられ真ん中にソファーと椅子が置かれている形になっている。
 事務所の中にはこちらに背を向けてソファーに座った部長がいた。部長は背を向けているので亮介の存在に気づいていない。机の上に向かって何やらぶつぶつと独り言のようなものを唱えていた。机の上はきれいに整頓されガラスの灰皿が1つ置かれているだけだった。
 亮介は部長の肩越しに机の上を覗いてみた。するとその灰皿の中に棉埃のような黒い塊があった。
「マノコ」
 亮介は直感的にそれがマノコだと気付いた。
 部長はまだ気づいていない。
 亮介は部長の言葉に耳を傾けてみた。
「どうやらあなたの存在が徐々に大きくなりつつあるようですね。このままでは必ずあなたの存在は周りにばれてしまいます。それに、中川君です。彼にはキャリアーとなるようにゆっくりと育てていくはずだったんですが、失敗しました。彼は確実に我々の敵となります。どこでどうあの力を手にいれたのかわかりませんが、私は見ました。彼がマノコを操り、我々の仲間を倒すところを。まだ扱いには慣れていないようですが。とにかく早く次の段階にいかなければいけなくなってはいます」
 灰皿の中の綿のような存在はうねうねと形を変えながら地を這うような低い声で反応した。
「そうか。もうそろそろ私の気も大きくなりだしている。このままここで時間を費やしても仕方がない。準備はできているのか」
「はい。十分にできています」
「この間のような失敗は許されないからな」
「はい。あの中学生にはあまりにもあなたの力を大量に摂取させすぎました。彼のキャパシティーを遥かに超えた力を注入しすぎました。だから彼は暴走した」
「今回は」
「はい。そのようなことがないように、ゆっくりと少しずつ万遍なくあなたの力を商品に染み込ませています」
「いかほど」
「おそらくは二百件ほどかと」
「そうかそれならばいいだろう。大きな声を上げるものが二百件あれば人は扇動される」
「同調圧力からの解放とでも言いましょうか。」
「簡単に言えば個人主義、しかし我々が狙っているのは人のつながりを断つ事。これが蔓延すれば人々は協力しなくなる。人間一人ずつの力なんぞ取るに足らん。やがて、人間どうしそれぞれが潰しあってくれるようになる」
「確かに。人のつながりとは脆弱なものです」
 このやりとりを聞いていた亮介は、事務所の扉をわざと乱暴に閉じた。
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