第9話

文字数 1,799文字

 その後は一通り、龍告寺の説明を受けた後、亮介は慶長と別れた。
 亮介は少し一人で龍告寺を見て回ることにした。
 龍告寺は思った以上に変わった寺だった。食事や料理にまつわるお寺だとは理解できた。本尊は薬師如来だ。薬師如来は病気を治し、衣食を満たし、人々を禍から救い出す仏である。確かに、先日のマノコ除霊騒動は理解しがたい出来事ではあった。それに、良観の話した事などはいわゆる言い伝えの部類だろう。しかし、彼ら親子はこの言い伝えを信じ自分の役割をきっちり果たしていた。目の前でマノコを取り出す儀式を見て、擬人化されたマノコを見た今はそれらの話を信じるしかないだろうか。亮介は戸惑いながら、境内を散策して回っていた。
 昼下がりの初夏の陽気は程よく、木々のたくさん生い茂った境内は静かで風の音が通り過ぎて行く。さほど広い寺ではない。本堂とその裏手にある観音堂と呼ばれる別館のような建物が、橋で繋がっている。敷地内は草木が生い茂った森状の垣根が境界線を作っている。
 観音堂の隣には母屋があり、慶長たち織田家の人々はここを自宅としていた。
 一通りの見学は終わったので、亮介は龍告寺を後にしようと思った。
 これからあの坂道を下って最寄りの駅まで歩くことを考えると、行きより帰りの方が楽だろうし、早く着くだろう。
 亮介が境内の奥から帰りの門まで歩こうとした時、ふと視界に前髪が切りそろえられた女の子が見えた。
 その女の子は、ボール遊びをやめて境内の玉砂利に木の枝で何やらお絵描きをしている。
「やぁ!素敵な絵だね。」
 亮介はこの女の子に声をかけた。
「可愛いでしよ。」
 透き通るような子供らしい声で女の子は答えた。
 地面を見ると、玉砂利に大きな山が描かれていた。その山の前には1匹の背中に羽が生えた天使が描かれていた。
「これは、天使さん?」
 お寺において天使を描くとは肝の座った子だなと訝しんだ。
「違うの。これは、大人になったころの私なの。私は背中に大きな羽が生えていたの。そして、お空を飛んで何処へでも行けるように。」
「へぇ。君はそんな風な事を思ってるんだ。」
 変な日本語だなと思ったが、こども特有の言葉使いだろうし、描いている絵はいかにも子供らしい、メルヘンチックな絵だと純粋に思った。
「可愛いね。きっと君もこんな風にお空を飛べるようになるんだよ。」
 そういって、亮介はポケットから開けたばかりのソフトキャンディを女の子に渡した。
「これ、新発売なんだ。ウチのスーパーで試供品としてもらったやつ。なかなか美味いからあげるよ。」
「えっ、いいの?」
「いいよ。どうせもらったやつだから。」
「ありがとう。」
 そう言うと、女の子は包み紙をほどいて、ソフトキャンディを大切そうに小さな口に入れた。
「うん。美味しい。」
 女の子は嬉しそうに笑った。
「そうだろ。なかなか美味いよね、これ。」
 亮介も自分の分の包み紙をほどいて口に投げ入れて微笑んだ。
 そのとたん、
「…うっ…げぇ…っうう〜…っ」
 女の子の様子が変わった。
「あーっ!おわぁー!」
 女の子は大きな声で苦しみだした。
 立っていられなくなったのか、しゃがみこみ口の中のソフトキャンディを吐き出した。
「ぐわぁーっ!」
 女の子は悶え苦しんでいる。明らかに、これは異常だ。
 アナフィラキシーショック。
 亮介はこの言葉を思い出した。アレルギー反応が過剰に反応しすぎると起こる、強アレルギー反応である。
 これはマズい。アナフィラキシーショックは最悪の場合死に至ってしまう。
「オイ!大丈夫か?」
 亮介が女の子の肩を持って揺りうごかす。
「ぐぇーっ。ぐぅっ、ぐぅっ」
 言葉にならない。
「ゴボゴボ」
 遂には、女の子の口から真っ黒い液体が溢れ出てきた。
 その勢いは増して、遂には吐き出すというよりも噴射するように女の子の口から出てきた。
 逃げる暇などまるでなかった。亮介は身体中にその液体を被ってしまった。
 匂いはほとんどなく、ただ、ドロドロと粘度の高い液体が顔や体にまとわりついていた。
 あまりにも突然のことで亮介は言葉が出なかった。
 女の子はとうとう倒れ込んでしまった。
 亮介の足元で女の子は仰向けになって、息が荒く肩とお腹がヒクヒクと痙攣している。
 そこへ、良観と慶長が飛び出してきた。
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