第81話

文字数 1,419文字

「慶長!早く真正棒だ!」
 通玄が叫んだ。
 良観がもうすでに傍で真正棒を手にスタンバイしてした。慶長はそれをもぎ取ると深雪の左腕に軽く叩きつけた。真正棒が触れたところは一瞬普段の色に戻るがまたもとの赤黒い色になってしまう。慶長は幾度となく真正棒を深雪の腕に当て続ける。
 良観、通玄、慶長の三人の読経の声が重なる。それぞれの役割に応じて読む経が違うのであろう。三者三様のそれぞれの読経が本堂に響き渡った。それぞれが全く違う言葉を発している筈なのにも関わらず、やがてその響きは一つの大きな塊となり本堂全体を包み込んでいく。それは言葉や声といった人間が作り出すものとは大きくかけ離れ、一つの連続する音となっていった。
 深雪の腕は肩から数珠で絞りあげられてはいたが、少しずつ漏れ出していたのだろう。赤い痣は深雪の顎から頬にかけて広がっていた。
「なんなのこれ。今まで経験したことないんだけど。気持ちいーよー」
 深雪の目がトロリとしてきた。
 三人の僧侶の額からは汗が噴き出している。三人の読経はますます力が込められる。その声は一つの音の塊となり流れてゆく残響を追いかけるようにこだまする。そしてそれはまるで生き物のように本堂を所狭しと駆け巡る。三人が出す音の共演は本堂全体を満たし、それは周りの景色と同化しもはや風景と化していた。
 慶長の真正棒を振る腕の筋肉は盛り上がり、足元の汗溜まりは黒い染みを床に作り出していた。
 その時、亮介の手に握られていたブレイドから眩い光が放たれた。それと呼応するかのように薬師如来の前机に置かれていた小さな巾着袋が明滅し始めた。その光は初夏に飛び交う蛍の光のように小さく優しい。
 その明滅のスピードは徐々に速くなりながら、前机の上から浮き上がった。フワフワとゆっくりと浮き上がった巾着袋袋の上昇が止まった。空中で動きが止まると巾着袋は突然はじけ飛び、まばゆい光を放つちいさな勾玉のような半透明の水晶玉が中から現れた。
 亮介の持つブレイドと薬師如来の前の水晶玉が深雪の腕と一直線上に結ばれた時、放射されていた光は集まり、レーザー光線のように深雪の腕を射抜いた。
 深雪の腕は跳ね上げられ、その腕と同じ形のどす黒いモヤが現れた。
 深雪の腕はだらりと垂れ下がり、もとの肌の色に戻っていた。しかし、どす黒いモヤは跳ね上がった腕の形のまま、ブレイドと水晶玉が光を照射し続けている。ブレイドから放たれる光の線はその明るさを増していき、やがてどす黒いモヤは霧散した。
 ちいさな水晶玉はゆっくりと下降しもとの前机に音もなく着地した。もう光ってはいない。ブレイドも輝きをやめ、亮介の手のひらに収まっている。
 良観、通玄、慶長の三人はあっけにとられて、読経を唱えることも忘れていた。深雪は虚空を眺めている。
 本堂は静寂に包まれた。
「吉岡!」
 亮介が深雪の元へ駆け寄った。
「大丈夫か?お前!」
 深雪の肩を揺らしたが深雪の目の焦点はまだ合わずボンヤリとしているようだ。ふと我に帰った慶長は
「亮介さん、あなたっ・・・!」
 と何か言いたそうにしていたが言葉が続かないようだった。
「どうやら、揃ったようだな」
 良観がニヤリと笑った。
「どういうことですか」
 深雪の肩を抱えたままの亮介が良観に向かって聞いた。
「これは、本来の持ち主のもとに戻さなければならない」
 良観は前机から水晶玉を取り上げた。
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