再スタート -1-

文字数 2,072文字

 月曜日は朝から部内の全員が集まってミーティングが行われる。出社組とリモートワーク組がいるため、オンラインでのミーティングだ。晃司が開始一分前に参加すると、既に十名ほどが待機していた。開始までの一分の間に続々と参加者が増え、総勢三十人がパソコン画面の中に集まった。
 一時間の会議の間に、部内の各チームの代表が状況や課題などを共有する。三十人も集まれば、当然会話に加わらずに聞いているだけの地蔵メンバーが出てくる。晃司もその一人だ。新しい商品がどうの、クレームがどうの、と熱意のある一部の参加者で会話が盛り上がっているのを、ぼーっと聞き流していた。晃司の所属するチームの番になり、上司である山本義男(やまもとよしお)が先週の状況と今週の予定や割り振りについて話していく。一通りの報告が終わった後、来週から新しく派遣社員が加わるという共有がされた。そこで、唐突に晃司の名が呼ばれた。
「その方の教育は黒岩さんにお願いしようと思うので、よろしくお願いします」
 晃司の返事を待たずに、それどころか返事をする余地もなく、決定事項になってしまった。晃司は何も聞かされておらず、寝耳に水だった。
 ――まただ。
 派遣社員である晃司に社員を、ましてや派遣社員を教育する義務など無い。正確に言えば契約書の業務内容欄に記載があればやらざるを得ないが、教育は晃司の契約には含まれていない。立派な契約違反であり、違法労働だ。しかし、契約違反が当たり前にまかり通っているのが現実である。晃司には、誰もがやりたがらない仕事や評価に繋がらない仕事が多く回ってくる。なまじ仕事をこなせてしまうが故に、都合の良い存在ーー定額働かせ放題要員にされてしまうのだった。
 モヤモヤした気持ちを抱えつつも、反論や意見ができる空気でもなく、ミーティングは終わってしまった。半年前に中途入社した正社員の教育をした時もこうだった。一方的に任され、派遣会社に相談しても何もしてもらえず、それどころか「評価を上げるチャンスですから。評価が上がれば時給も上げてもらえるかもしれないですよ」と言われて取り合ってもらえなかった。約三ヵ月付きっ切りで教育し、今では立派に結果を出せる存在に育ったが、晃司の時給が上がることは無かった。派遣先はコストをかけずに社員教育ができ、派遣元は事なかれ主義で何もしなくて良い。派遣社員である晃司一人が割を食っただけだった。
 さすがに今度は受け入れられない。その日の昼食の時間、派遣会社の営業担当に電話をした。相手は調子の良い声色で出たが、契約外業務を断りたいという話であると分かると、とたんにトーンが低くなった。
「先方はそれだけ黒岩さんを頼りにしているということですし、スキルアップにもなると思いますけど……」
「私の仕事は新人教育ではないはずです。もしやれと言うのなら、契約書の業務内容にしっかり記載して、増えた仕事の分しっかり時給を上げるのが正しい順番ではないですか?」
「もう更新まで一ヵ月切ってしまってますし、今から契約を変えるのは現実的ではないですね」
「それなら、教育については断ります。そう先方にお伝えください」
「いや、せっかく頼りにされてるんですから、それは……」
 こうして会話がどうどう巡りだ。前の時と全く同じだ。
「きっぱり断るか、受け入れる代わりに時給を上げるか、どちらかです」
「今回だけは私の顔を立てて辛抱いただけませんか? ほら、新人の方が立派に育って結果を出せるようになれば、先方から社員登用の話が出るかもしれないですし」
 これも同じだ。頑張れば時給を上げてもらえるかもしれない。頑張れば社員登用してくれるかもしれない。そうやって馬の鼻先に人参をぶら下げるような話をして、さんざん期待させて、最終的には裏切られる。どれだけ頑張っても報われないのがこの世の中なのだ。
「もう結構です」
「それでは、ご辛抱いただけますか?」
「いいえ。次回の更新はしません」
 営業担当の慌てた声が聞こえた。晃司は通話を切り、電源も切り、会社近くの空いているラーメン屋に入った。いつもなら弁当を作って持参し、社内の休憩室で済ませるのだが、今朝は弁当を用意する元気がなかった。久しぶりの外でのランチ。出てきたラーメンをいくら啜っても、全く満たされなかった。理不尽というブラックホールに、味も元気も意欲も吸い込まれてしまったようだった。
 その日の午後は淡々と仕事をこなし、定時きっかりに帰宅した。さっとシャワーを浴びて不快な感情を流した後で、溜まった有給休暇の申請をしておいた。来週から二週間だ。休暇の終わりとともに、契約終了となる。パソコンでメールを確認すると、営業担当から謝罪と引き止め、そして時給アップの交渉をする旨のメッセージが届いていた。晃司は何の感情も湧かなかった。短い文章で昼と同じく退職の意志を伝え、パソコンを閉じる。
 夕食を食べる気にもなれず、VRヘルメットとアームヘルパーを装着して、早々にルナにログインした。自分の居場所は、ここにしかない。そんなことを考えながら。
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