再スタート -6-

文字数 1,654文字

 煎餅を勧められて、ありがたくいただく。一枚食べきって、お茶と一緒に嚥下した。すると、唐突に老人が口を開いた。
『何かあったのかい?』
 コージは驚いて横を見ると、老人がじっと見ていた。足元のタローも、じっとコージを見ていた。
『タローは、お客さんが来ている時は、儂の傍にいるんだ。呼ばれて近寄ることはあっても、頭を撫でてもらったら、また儂のとこに戻ってくるんだ』
 コージが縁台に座ってから、タローが離れることはなかった。お茶菓子を挟んで隣に老人が座っても、彼の傍には行かなかった。
『儂の傍に来ないでお客さんのとこにいるときは、だいたいお客さんが何か悩み事してる時なんだ。首吊っていなくなっちまった人もいた。死なないまでも、来なくなっちまった人もいてな。儂の思い過ごしならいいが、何かあるなら話してみな。年寄りに話しても仕方ないだろうが、愚痴を言うだけでも気分が楽になるぞ』
「……敵わないな。タローにもおじいさんにも」
 タローの頭を撫でてやっても、相変わらずじっと見ていた。ごまかすな、と言われている気がした。
「実は、仕事のことで揉めちゃって。一つ一つは大事じゃないんですけど、これまで積もりに積もった不満が爆発して、辞めるって言っちゃったんです。別に今の仕事には未練はないけど、次どうしようとか、また同じことの繰り返しなんじゃないかとか、不安ばっかり過るんです」
 老人は相槌を打つだけで、何も言わずに聞いてくれている。それに甘えて、抱えていた感情をどこまでも吐き出してしまう。
「大学行ってた頃まで戻りたいなって思うんです。就職活動の会社選びに失敗していなかったら、未来は全然違っていたかもって。初っ端の就職で失敗しちゃうと、いくらその後巻き返そうと頑張っても、なかなか受け入れてもらえないから。そんなのは言い訳だろう、努力が足りないんだろうって言われたこともあるけど、これでも頑張ったんですよ。でも、いくら頑張っても、都合よくこき使われるだけだったんです」
 何を言っているんだろう。老人と犬相手に。――NPC相手に。頭の片隅ではそう思っても、一度吐き出し始めた言葉は止められなかった。
「昔には戻れないし、頑張りが報われないなら未来にも期待できない。もう、諦めるしかないんだなって思ったら、何だかやる気が無くなっちゃいました」
 静かな怒りと諦めの感情。過去の後悔と未来への失望。誰にも言えなかった本音を全て吐き出した。頭を撫でてやっていたタローが、ようやく目を細めた。老人は杖を頼りに立ち上がると、コージの頭に手を乗せた。
『頑張ったな』
 コージが驚いて見上げると、皺だらけの顔を余計に皺くちゃにした老人がいた。
『でかくなると、褒めてくれる奴がいなくなるもんな。会社のことは分からんが、タローのことを一生懸命に面倒見てくれたことは知っとる』
 コージは皺くちゃの顔をずっと見ていられず、下を向く。
『仕事はどうにもしてやれんが、もし住む場所に困ったらここに住んじまったらいいさ。住む場所だけありゃ何とかなる。家内がいなくなっちまったけど、いろんな人の手を借りて儂は何とかやれとる。全部ひとりでやろうと思うな』
 目頭が熱くなってきた。
『でかくなって、しかも男に生まれちまうと、何でもかんでも背負わされちまうよな。だけど甘えたっていいんだ。でかくたって、男だって、ただの人間なんだ。一人で無理なら頼ったらいいんだ。たまには他人に頑張らせちまえ』
 耐えられそうにない。
『頑張ったな』
 二度目のその言葉で、限界だった。コージの膝にぽつぽつと染みができていく。タローの顔が滲む。嗚咽が漏れる。老人はずっと頭を撫でてくれた。タローはコージの手の甲を舐めてくれた。この時の感情も、頬を伝った温かい感触も、老人の手も、タローの舌も、紛れもない本物だと感じた。
 屯所に戻ると丁度フミトが魔法陣に現れたところだったが、詫びを言ってこの日の活動は無しにしてもらった。その代わりに翌々日からは朝から冒険することを約束し、コージはログアウトした。
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