再スタート -7-

文字数 1,305文字

 翌日はいつもより一時間早く出勤して、引き継ぎの資料を作った。全ての作業はマニュアル化して資料を残していたので、あとはどこに何があるかをまとめたテキストファイル一枚を作れば、ひとまず困らない状態にできた。そのうちに他の社員が出勤してきたが、派遣会社からあること無いこと聞かされたのか、視線や態度が冷ややかだった。しかし、全く気にならなかった。むしろ、たった一度の自己主張でここまで態度が一変し、これまでの努力を否定されてしまうのなら、辞めるという判断は間違っていなかったのだと思える。
 昼前に上司の山本から呼び出され、面談をされる。営業担当からは、晃司が一方的にわがままを言って辞めるのだと聞かされたそうだ。予想通り過ぎて、もはや笑い話だ。さすがに山本はこれまでの晃司の働きを知っているため、営業担当の話を全て真に受けているわけではなさそうだったが、それでも晃司の突然の退職や突然の有給消化には不満げだった。
「急だったのは申し訳ないと思っています。しかし、明らかに違反である新人教育を、当たり前のように担当させようとしたことがそもそもの原因です。そして、私に相談もなく、新人教育を担当させると全体周知したのは山本さんです。山本さんに何も責任がないとは思えません。私の営業担当も然りです。作業マニュアルは完成していますので、それを見てください」
「そう言っても、いきなり代わりなんて見つからないんですよ」
「それは御社の採用や采配の問題なので、私に責任はないです。社員さんはたくさんいるんですから、分担すればできる内容です」
「黒岩さんみたいにできる人がいないんですよ……。ずっと頼りにしていて、長く働いてほしいと思っていたんです。登用だって考えていて……」
「考えるだけなら誰でもできるので、形にしてください。その上で、次に来る方には、長く働いてほしいと思った時点で登用の話をしてあげてください。私はもういいです」
 そこで昼休憩の時間になったため、面談は強制終了となった。山本は頭を抱えていたが、この二年半ずっと頭を抱えていたのは晃司だったのだ。立場が変わったからといって、文句を言われる筋合いはない。こちらばかりが手を貸す一方で、手を貸してくれない相手なら、きっぱり縁を切った方が自分のためだ。
 午後も誰とも会話しないまま、引き継ぎ資料の作成や身辺整理に勤しんだ。不要になった大量の用紙を、我慢を重ねた過去と一緒にシュレッダーにかけた。掃除を終わらせ、私物を鞄に詰め、昼食の時間に近所のデパートで購入した菓子折りを休憩室に置いた。
 退勤時間になると、山本にカードキーを返却し、チームに「お世話になりました」と声掛けをした。誰からも挨拶が返ってこない部屋を後にし、真っすぐ帰宅した。
 後悔は無い。もう後には引けない。それでも、晴れやかな気分だった。今までは、自分ひとりで頑張った。これからは、自分と仲間の力で頑張っていけばいい。不安が無いと言えば嘘になるが、それ以上に高まる気持ちがある。
 これまでの過去にケリをつけ、未来を見る。タローに舐められた部分を擦って勇気をもらう。
 明日から、晃司は人生を再スタートするのだ。
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