クエスト -4-

文字数 1,717文字

 帰りがけに掲示板を確認してみると、コージが受注したクエストの貼り出しが無くなり、戦闘クエスト二件のみになっていた。時間が経てば貼り出されるようなことをNPCが言っていたので、待っていれば新しい依頼が追加されるのだろう。少なくとも今は受けたい依頼はないので、予定通り帰ることにした。
 大通りを自動車が走り、トラックが走る。騒音とともに走り去った後のぬるい空気と排気ガスの臭い。メタバースの中の空間だというのに、視覚や触覚だけでなく、嗅覚や聴覚に伝わる感覚までもが本物のようだ。夢と現実の境が付かなくなりそうなほどの完成度に、改めて驚嘆する。見知った道路に、店舗。信号機の位置や点滅の仕方に至るまで、忠実に再現している。
 横断歩道に杖をついた老婆がいた。青信号を渡っているところだが、進みが遅く危なっかしい。左手にぶら下げた買い物袋が重そうで、鈍足に拍車をかけている。大丈夫かと横目で見ながら通り過ぎようとした時、老婆が転んでしまった。
 嫌な予感が当たった。荷物が買い物袋から散らばり、老婆はへたり込んでしまっている。追い打ちをかけるように、青信号が点滅し始めた。コージは慌てて駆け寄った。
「大丈夫ですか! 危ないから、一緒に渡りましょう」
 転がった荷物を買い物袋に急いで詰め込み、老婆を半ば抱えるように支えて、大急ぎで反対側の道路へと向かった。横断歩道を渡っている最中に赤になってしまったが、何とか轢かれる前に渡りきれた。仮想空間の中だというのに、汗が出た。
 老婆に買い物袋を手渡し、息をつく。
『ありがとうねえ、お兄さん、親切にしていただいて。心ばかりだけれど、御礼を送らせていただくから、受け取ってちょうだいね』
 何度も深いお辞儀をしてそう言うと、老婆はゆっくりと去っていった。老婆を見送ったコージの視界の中心に、「クエスト完了!」という派手な演出が表示された。
「は!?」
 思わず声が出た。今受けているクエストなんて無いのに、なぜ完了の表示が出るのだ。コージの混乱を読み取ったかのように、「ランダムクエストを達成しました! ランダムクエストは自動で発動し、特定の行動を取るとクエスト完了となります。」というガイドが表示された。前もって依頼内容を告知され、自分の意志で受注できる通常のクエストの他にも、今のように突発的に発生するクエストもあるようだ。ただ転んだお婆さんを助けることが、クエストだなんて思わなかった。
 コージはプロフィールを確認してみた。

名前――コージ
称号――お人よしアラサー
職業――なし
所持金――¥6,000
Lv――2
経験値――200
体力――33/33
ステータス――正常

 所持金が五千円も加算されていた。牛丼宅配クエストは何だったのかと思わされる位の高額報酬だ。経験値が200に増え、レベルも上がっていた。ランダムクエストはボーナス要素なのかもしれない。何がクエストになるのか分からないが、なるべく人助けはしよう。コージはそう心に決めた。
 称号もさりげなく変わっていた。「人生に迷うアラサー」だったのが、「お人よしアラサー」になっている。お人よし、か。素直に喜べない部分があるが、今回は好意的に受け取っておこう。アラサーはずっとこのままなのだろうか。否定はできないが、年齢を称号に使われたら努力で変えようがないだろうに。
 ツッコみたい部分はあるが、人助けをし、報酬も得られた。どこか誇らしい気持ちで、コージは自宅へと戻った。
 自宅――ルナのスタート地点へと戻ったコージは、慣れ親しんだ部屋に座って一息ついた。窓の外は夕日が顔を出している。仮想空間にいるとは思えないリアルな夕焼けだった。ただ、ここは現実世界でないことは忘れてはいけない。あくまでも、休日の時間を使って、ゲームをしただけなのだ。

『ありがとうねえ、お兄さん』

 助けた老婆の言葉を思い出す。買い物をした後に店員から言われるような事務的な御礼ではなく、心の底からの感謝の言葉。遠い過去に置いて来てしまっていた温かい気持ちを思い出し、くすぐったくなった。
 ふと過った甘えを振り切り、コージは設定メニューを開いた。名残惜しさを感じながら、「ルナから帰る」を押した。
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