そうだ、転職しよう -2-

文字数 1,686文字

 悩んでいても仕方がないので、まず先に散歩クエストを受注することにした。牛丼クエストの時と同様に、目的地上空に下向きの矢印が出ている。向かってみると、コージの家の近所だった。立派な一軒家の門をくぐると、タイミング良く玄関が開いた。還暦を過ぎたのがだいぶ過去の思い出になりそうな老人が、犬と一緒に出てきた。
『おや、いらっしゃい。もしかして、こいつの散歩に付き合ってくれるのかい』
 リードを持った老人が言う。コージが肯定の返事をすると、破顔した。
『そうかい、そうかい。そりゃ助かるよ。儂じゃ遠くまでこいつを連れてってやれないから、いつも可哀想だったんだ。うんと遠くじゃなくても、家から離れたところを歩いてくれれば、満足するだろう。悪いけど、よろしく頼むよ』
 よたよたと、自身が持っていたリードと、シャベルやビニール袋が入った散歩用の手提げを渡してきた。犬の方は、最初は老人とコージを交互に見比べていたが、今日はコージが散歩に連れて行くと分かったのだろう、尻尾を大きく振ってコージを見つめていた。
『人懐っこいだろう? タローっていうんだ。家内が死んじまってからはこいつと二人暮らしでな、儂らを心配してたくさんの人が来てくれてるもんだから、人見知りなんてしないんだ。吠えたり噛みついたりはしないだろうが、久し振りに遠くへ行けるもんだから、はしゃいじまうと思うけど、許してやってくれな』
 コージはリードと手提げを受け取ると、老人に見送られながら散歩に出かけた。彼の言っていた通り、タローは道路をくねくね歩いたり、電柱に小便をかけたり、文字通り道草を食ったりと、自由にはしゃいだ。道端で止まったと思いきや、突然コージを置いていかんばかりの速さでトコトコと歩いていく。いつもは老人のスピードに合わせてゆっくりしか歩けなかったのだろう。コージはタローに引っ張られ早歩きを余儀なくされているが、許して付き合うことにした。
 コージも小学生の頃に犬を飼っていた。狸のような体毛と顔をしていた雑種犬だった。コージが生まれる前に拾われたそいつはコロと名付けられ、十数年の間、コージと共に育ってきた。コージがあと数ヵ月で小学校卒業を迎えるという頃、コロはあまり動かなくなり、餌もほとんど食べなくなり、日に日に弱っていった。何かしてやりたいと思っても、小学生のコージにできることなどなく、おやつのポテトチップスを割って小さくしてやって、分けてやるくらいしかできなかった。餌も食べない有様だったのだから、本当ならポテトチップスなど食うわけがない。だが、コロは弱々しくも顔をあげ、細かくなったポテトチップスをゆっくりと口に含んだ。その数日後、コージの卒業を待たずにコロは逝ってしまった。
 コロにしてやれなかったことを、タローにしてやりたい。そんなものはコージの都合であって、勝手な願いだとは思う。何もできなかった当時の自分を許すために、タローを利用しているような気さえする。ただドライにクエストをこなせば、それで済むのに、できなかった。往復で三十分も歩けば達成するクエストだが、タローの意志に任せて好きなように歩かせてやった。帰った頃には、倍の一時間以上は経過していた。老人は外の縁台に腰かけて待っていた。
『随分と長い間歩いてくれたんだな。遅いから、心配しちまったぞ』
 老人は危なっかしい足取りで近寄り、手提げを受け取った。タローは尻尾を振って老人の周りを跳ねている。
『おうおう、そんなにうろちょろされたら、転んじまうって。遠くまで歩いてもらって、嬉しかったんだな。ありがとうよ。礼はさせてもらうから、よかったらまたこいつを散歩させてやってくれ』
 嬉しそうなタローを連れて、老人は家の中に戻っていった。
 「クエスト完了!」の表示が出た。プロフィールを見れば、どれだけ稼げたか確認できるが、そうしなかった。メタバースの中なら、コロも生きていけるのだろうか。そんな想いを抱きながら、コージは歩き出した。感傷に浸るのも少しの間だけ。いつまでもウジウジはしていられない。これでも多少は人生経験を積んだ社会人なのだ。
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