再スタート -4-

文字数 1,914文字

 現実世界に戻って、シャワーを浴びる。何年か振りの徹夜をしたせいか、ひどく眠い。カジュアルすぎない服を着て、時計を嵌めて、簡単にワックスで整えて。……頭ではいつものルーチンが出来上がっているのに、一向に動く気になれない。自分を便利な道具としか思っていない社会に、なぜ気力を振り絞って出ていかなければいけないのか。
 社会人としては間違っていると分かっている。雇われて、お給料をいただくなら、その分の労働力を提供しなければならない。では、値段以上の提供を求める社会は間違っていないのか。ラーメン代しか払わないくせに、「ラーメンとチャーハン、できれば餃子も出せ」と言ってくる客の態度は間違っていないのか。
 派遣先に電話で、派遣元の営業にはメールで、体調不良で一日暇をもらうと伝えた。社会人になってから、ずる休みをしたのはこれが初めてのことだった。
 晃司は泥のように眠った。夢の中でも、フミトとクリーチャー狩りをしていた。自分が狙っていたアイバットをフミトに先に退治され、フミトがしたり顔をした。食堂でうまい飯を食って、酒を飲んで、そこに又五郎も混ざって。そこになぜかサチコとコテツが加わって、サチコにハグされながらコテツに脅迫されるという地獄を味わったところで目が覚めた。起きたら、全身からとんでもない量の汗をかいていたので、またシャワーを浴びる羽目になった。
 放置していた携帯電話を見ると、着信が五件。全て派遣会社の営業からだった。面倒だったが、一応はかけ直しておこう。四回目のコールで、相手が出た。
「黒岩さん! どういうことですか!?」
 出だしの挨拶なしに、突然の大声。何に対しての「どういうこと」なのかが分からない。
「来週から有給消化って、いきなりすぎて、先方も混乱してますよ!」
「あれでも遠慮しました。本当は一ヵ月分の有給が溜まっているので、今からずっと有給でもいいくらいなんです。それでも気を使って今週は出勤にしました。作業マニュアルは全て私が作って揃っているので、引き継ぎするにしても一週間もいらないくらいです」
「突然代わりの担当者なんて見つからないですし、やりかけの業務だってあるでしょう? 先方の都合も考えてくださいよ!」
「あなたも先方も、一度でも私の都合を考えてくれたことはありましたか? 当たり前のように契約外の業務を押し付けてきて、相談しても何も対応してくれなくて。有給が一ヵ月分溜まるくらいに休みも全く取りませんでした。今まで散々、あなたがたの勝手には付き合いました。でももう限界です」
「もうすぐ今の現場で三年経ちますし、このままいれば登用の可能性だってあるんですよ? 可能性を捨ててしまって良いんですか?」
「その可能性があるなら、まるまる三年経過する前に話があっても良いものでしょう。それが無いということは、先方は派遣社員として安く何でもしてくれる私がお望みなのであって、社員となった私ではないんです」
「うーん……。どうにか、少しの間だけでも延長していただけないですか? せめて、先方で代わりの人材が見つかるまでの間だけでも……」
「お断りします。ここまで話がこじれても、そうやって自分たちの都合しか主張してこないんですよね。情に訴えかけるようなことをしても、何も響きません。情を感じるようなことはしてもらってませんから」
「そこをどうにか……」
「埒が明かないので、強硬手段を取らせていただきます。明日出勤して資料だけ整理して残しておきます。明後日からは出勤しません。有給申請しておきますが、通さなくても結構です」
「穏便に済ませようと思っていたのに……。面倒なことになっちゃいますよ?」
「脅迫ですか? まあご勝手にどうぞ。法的な手段を取ったところで、契約外労働を何度も見逃してきた事実がある以上、あなた方だって責任を問われます。お伝えしておきますが、これまでの会話は録音して残していますし、メールだって残っています。では、その後のご対応よろしくお願いいたします」
 相手がギャーギャー言っているのを無視して電話を切った。法を破っておきながら、法を盾に従わせようとするとは、全くもって都合が良いことだ。着信がしつこく来ていたが、もう気にしないことにした。大人げない行動をしている自覚はあるが、二年半もの間都合よく利用されてきたのだ。もう付き合いきれない。法的手段をちらつかせてきたが、重大な損害を出したわけでもない派遣社員一人にそこまで時間と労力を割くわけにはいかないはずだ。だが、それはこちらも同じ。契約外労働をさせられたことについては、泣き寝入りするしかなくなる。破っても責任を問われない法なんて、無いも同然だ。
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