そうだ、転職しよう -3-

文字数 1,743文字

 掲示板に戻り、件数の減った貼り出しを見つめる。装備調達の手伝いクエストの内容を再度確認し、受注を決める。センチメンタルな気分になりそうな時は、全く関係のないことをするに限る。申し訳ないが、利用させてもらうことにした。空に矢印が現れた。少し遠い。面倒な距離だが、今回ばかりは都合がいい。
 目的地に到着した。現実世界なら有名ホテルが建っている場所だが、ルナの中でも同様だった。依頼者はホテルのどこかにいるということだろうか。上空の矢印だけでは、さすがにどこに居るのか分からない。もう少しヒントをくれよと思ったが、突っ立っていても仕方がないので、とりあえずホテルの中に入ることにした。
 本来なら、宿泊者でもないコージが動ける範囲は限られる。だが、ここはあくまでもルナの中。客室を一室一室尋ねて回ろうと思えばできるのかもしれないが、気が遠くなる作業になる。さすがにエントランスやショッピングゾーンをぶらついていれば、何かしらヒントが見つかるだろう。
 広々としたロビーに、客を迎えるソファーが何か所も設置されている。人はまばらだが、ある一カ所に、妙齢の女性と高校生くらいの少年が座って何やら言い争いをしていた。それとなく近寄って聞き耳を立てる。
『母さん、いい加減にしてよ! もう子供じゃないんだ。身支度くらい自分でするよ』
『そうは言っても、あなたは何を準備したらいいかも分かっていないでしょう? クリーチャー一匹すらまともに戦ったことも無いのに、無謀よ。この期に及んで旅に出るなとは言わないけれど、せめて準備くらいは大人の人に手伝ってもらいなさいよ』
『余計なお世話なんだってば!』
『もう……』
 会話の内容から察するに、旅に出る息子と、その親だ。どうやらアタリのようだ。コージは近寄って声をかける。
『あら、あなたは……? もしかして、依頼を受けてくださる方かしら?』
 コージが肯定すると、女性はぱっと明るい表情になった。
『ありがたいわ! 私はマリと申します。ここにいる私の息子のリョウが旅に出たいと言い出しまして……。街の外はクリーチャーだらけでしょう? 本当は止めさせたいのだけど、どうしてもと言ってきかないから、旅に出るのは許可したんです。それでも外はどんな危険があるか分からないから、せめて準備をしっかりしていけと言っているんですけど、聞き入れてくれなくて……』
『準備しないとは言ってないだろ! 自分でやるって言ってるんだ。母さんは自分がやらなきゃ気が済まないだけなんだ。そんなんだから旅に出たくなるんだ!』
『この調子なんですよ……。ただ心配なだけなのに、埒が明かないわ』
 なるほど、状況は理解した。思春期の息子に、過保護な母親という構図だ。自分の過去を見せられている気になってくる。確かに、こういう時は他人が仲を取り持つのが手っ取り早い。
「分かりました。まず、マリさんは、準備さえしっかりしてくれれば、リョウ君が旅に出るのを許可されるんですね」
『はい。旅立ち前に職業を決めて、しっかり装備を整えてほしいんです』
『職業はもう決めてる。俺は剣士になるんだ。小さい頃から鍛錬はしてる』
 コージとマリの会話に、リョウが割って入る。
『そう早まらないで、まず詳しい人に相談なさいって言っているの。あなたは実戦経験がないんだから、剣士が向いているかは分からないでしょう。いくら職業は後で変えられるといっても、死んでしまったらどうしようもないのよ?』
 俺も別に詳しいわけではないし、それどころかクリーチャーに会った事も無いのだが……。その言葉を何とか飲み込み、コージは二人の言い争いを止めた。
『この通り、私の言うことは聞いてくれないから、他の方にお願いしたくて依頼を出したんです。このホテルの二階には武器や防具を扱う萬屋も、薬屋も、転職屋も揃っていますから、ここで全て準備できます』
「その準備に俺が同行すれば良いんですね」
『お願いします。準備ができるまで、私はここで待っていますから』
「俺が君の準備に付き添うだけで、君は旅に出られるんだ。それくらい我慢できるよな? 君は自分で旅に出ると決められるくらいに出来た男なんだから」
 コージの言葉に満更でも無かったようで、リョウは視線を外しながらも頷いてくれた。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み