第42話

文字数 3,013文字


源三郎江戸日記(弟二部)42

家族には罪は御座りませぬと言うと、それで良いならそうしょうと言ったので、稲葉が全員の縄をとけ、国家老と監物はそこの二人と立ち会うのだと言うので、敵討ちの助太刀は、
許されています、それがしとこのお峰がこの二人の助太刀をしますゆえ、そちらも二人助太刀をつけなされと言うと、どうすると稲葉が聞くと、国家老が岡田と篠原助太刀せよと、
いうと、

ハッと返事して前に出たので、稲葉が山脇立会人をせよというと、山脇が立ち上がり、おのおの方お立ちなされいと声をかけると一斉に立ち上がり、刀を抜いたのです、かかり、
なされと言うので、わしは監物を相手にするお峰達は国家老と後の二人の相手をしろと言うと、承知と言ったのです、監物いくぞと言って、この前は鎖帷子をつけているとは知ら、
ずに肩からの袈裟切りにしたので、

討ち取れなかったのだ、首から切れば防げまいと言うので、切ってみろと言って峰に持ち替えて下段に構えたのです、間合いを詰めて監物が左袈裟切りにて刀を振り下ろしたので、
素早く左足を半歩引き左肩をずらすと届かないので下から目一杯振り上げると刀がぶつかり、かぎ~んと音がして火花が散り、監物の刀が真ぷたっに折れたので、踏み込んで右肩、
打ち据えると、

刀をおとし後ろにたおれたのです、お峰は抜く手もみぜず三人に切りかかると、三人はぎや~と言って右腕から血を流し刀を落したのて、峰で肩を打つと三人もひっくり返ったの、
です、4人がよろよろと立ちあがったのでお滝、おしの今だと言うと、二人は刀先を前にして踏み込み左胸につきたるとぐわ~と言う声を出したので、小太刀を引き抜き後ろにさが、
ったのです、

二人はがくっとひざまずき前にうつ伏せに倒れたのです、山脇がそこまでと声をかけると二人の助っ人はひづまずいたので、お峰と源三郎は刀をしまうと、山脇が国家老と監物の、
首すじに指を当てて絶命していますと言うと、稲葉が見事じあといい、二人を片付けろというと藩士が担いでいったのです、これで良いかと言うので、結構で御座います、権蔵は、
私めにお預けくださりませと言うと、

好きにするが良いと言って、なぜ我が藩の掃除まで、手を貸すのじあと言うので、国家老が圧制をやり続ければ佐倉藩の領民は領地を逃げ出して、隣接の我が藩に逃げ込むのは必定、
で御座います、さすれば我が藩と佐倉藩の揉め事になり騒ぎが大きくなれば、喧嘩両成敗にて両藩とも改易になりもうす、いかに老中とて防ぐ事はできもうさんと言うと、そうじあ、
なわしの失政じあ、

まさかこのようなあくどい事をやっておるとは知らなかった許せと言って、山脇国家老となり藩を立て直してくれ、わしは水路が完成したら幕閣に呼び戻されるであろう、そなたに、
頼むしかないと言うと、承知仕りました、国家老に加担していたものはお役ごめんにして、領民が安心して田畑をたがやせるようにいたしますと言うので、稲葉がよろしゅう頼むと、
言ったのです、

稲葉様は領地3万石が上杉領となりさぞかし憤慨しておられることでしょうと言うと、それはわしの水路工事の失敗で上様に返納したのだ、誰に下げ渡されても文句は言えんと言うの、
で、上杉家としても上様の命令ならお返し出来もうさん、色々それがしの申し出を聞いて頂いたので、佐倉7万石を実収10万石にする策をお話いたしますがと言うと、新田開発をしろ、
と言う事かと聞くので、

それは山脇殿がなさればよろしい、米ばかりに頼っていては藩財政は豊かにはなりませぬというと、ほう、どんな方法じあ聞かせてくれと言うので、千葉から佐倉までの街道は東北、
の物資を運ぶ重要な街道で御座います、房総沖は船の難所言え銚子で物資を下ろし利根川をさかのぼり、成田から佐倉街道を千葉まで運び江戸湾で再び船にのせて江戸まで運びます、

しかし成田から佐倉までは難所が多く峠道ばかりなので多くの物資は運べませぬ、そこでもう少し利根川をさかのぼり、今回作った用水路に入り第一の印旛沼から第二の印旛沼へ、
物資を運べばそこは直ぐ佐倉の城下で御座います、陸路の何倍もの物資を一度に運べるのです、佐倉から千葉までの街道を整備して多くの荷が運べるようにすれば、街道の宿場は、
栄えて、

商いが増えてます、この街道は殆ど佐倉藩の領内ですので、佐倉藩には多くの冥加金が入るわけです、更に佐倉から成田さんの街道を整備すれば大勢の成田さん参りの人が訪れ街道、
の旅籠は潤います、又佐倉から水路を通り利根川を下れば香取神社、鹿島神社詣での人も増えます、佐倉が総ての起点になるのです、さすれば佐倉の城下は今の何倍も大きくなるで、
しょう、

印旛沼第一と第二をつなぐ水路は少し広げれば船の通行は可能になります、これは相模屋にやって貰いましょう、利根川は流れが穏やかなので登り下りも容易にできます、20石船、
を作り帆をはれば風の力で進ませる事も出来ます、陸路より水路の方が何倍も物資を運べるのです、水路の行き来がさかんになれば我が藩の為にもなるのです、そこで、我が藩か、
ら5000両を佐倉藩に寄進いたします、

ここにある賂の金寸と合わせれば1万両となり街道の整備には十分ですと話すと、なんと5000両をくれると言うのかと言うので、前回2000両は稲葉様から頂ましたのでそれはお返、
しして、更に3000両を足せば5000両となりますと言うと、なる程水路と街道の整備じあな、それは良い策じあ、我が藩も財政は豊かではない何よりの申し出じあ、山脇さつそく、
整備にかかれと言うので、

承知いたしましたと言うので、その普請にうってつけのものがおります、水門を完成させた富蔵と言う男です、この男は江戸湾の埋め立てもやっており、中々普請では腕をもって、
います、叉道普請の人足は街道の領民を賦役ではなく一日2朱の給金を払って使ってください、喜んで普請に参加するでしょう、恐らく半年で整備できると思いますと言うと、山脇、
がわかり申したと言うので、

明日にでも富蔵を山脇殿の処にいかせますと言うと、よろしゅうお願い申すと言うので、これでわたしめの話は終りに御座る、それではこにて引き上げますと言うと、稲葉が一つ、
聞いても良いかと聞くので、なんなりとと言うと、何処から大砲を持ち込んだのじあと言うので、あれは大砲ではなく、花火の4尺玉ですといって、仕組みと戦術を説明すると、
なる程そうであったか、

どうりで死人が出ない訳だ、糞とは恐れ入ったぞと言うので、江戸にお戻りになれば今回佐倉藩兵が糞まみれになった事を笑う者もいるでしょう、祭りを米沢藩領内でやったゆえ、
陣地は佐倉に近い方に取るのが儀礼なれば佐倉藩との国境に布陣したのじあが、いざ祭りに入った時急に風向きが変わったのじあ、もう少し待てば良かったのじあがみんな祭り酒、
を飲んでおつたので、

勢いがついてしまい祭りに入ってしまったのでじあ、次は佐倉藩内でやる予定なので風向きを良く考えて陣をはる事にする、まさに赤壁の戦いであったと笑い飛ばしなされと言う、
と、なる程三国志じあなと笑ったのです、わたくしめは決して稲葉様をめの仇にしているのではありませぬ、相手が誰であろうがかかる火の粉を振り払っているすぎないので、
すと笑うと、

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