第71話

文字数 2,881文字


源三郎江戸日記(弟二部)71

代官から聞いたと思うが、印西に赴任している者には特別の手当が支給される事になった、尚ここに永住したい者あらば申し出るが良い、それではそれぞれ持ち場に帰るが良いと挨拶した、
のです、山本が帳簿をと出すので、ペラ、ペラとめくり最後のページを見て、まだ4千両も残っているのか、遠慮せずとも良いのじあぞと言うと、まだ、米は取れておりませぬが、去年の、
冥加金がことのほか多かったので御座います、

そうか、町も潤っているようじあの、妻子はと聞くと呼び寄せて、一緒に暮しておりまする、ここをとても気にいってくれてます、春の水路の桜を楽しみに、しておりますと言ったのです、
役宅にはいると山本にわしは気にせんでもよい、役目にもどってくれと言うと、それではと役宅を出て行ったのです、おしのがやって来てお戻りなされませと挨拶するので、お滝が息災、
でしたかと聞くと、

みんな元気にやっております、この程は奥方様が懐妊されたよし、おめでとう御座りますと言ったのです、お滝の方様には奥をご案内しますと言うと、お滝をともなって役宅を出て行った、
ので、そばに控えている菊次郎にお前の役目はと聞くと、町方にございますと言うので、それでは町の様子でも見に行くが、お前は役目に戻るのじあ、わしには構わずとも良いと言ったの、
です、

陣屋を出てまずは居酒屋に入ると、おふくがご家老様お戻りなさいませ、今日は銚子のアジとハマグリがあります、叩きと塩焼き、ハマグリ焼を出しますと言うので、繁盛しているようじ、
あのうと言うと、去年は沢山冥加金を納めましたよと笑うので、そうか、それはすまんのうと言ったのです、店内は仕事の終わった人足、職人等の町衆が大勢飲んでいたのです、名主の、
徳衛門が傍に来て、

お戻りなさいませと言うので、先程は出迎えご苦労じゃった、まあ上がれと席を勧めると上がって、酌をするので飲み干して、杯を渡して酌をして、徳三郎は米沢で剣の修行をしておる、
8月の殿の参勤交代で江戸に登るので、ここに帰してやろうと言うと、ハイ、便りにては毎日秋元様とお春の方様に稽古をつけてもらっているそうに御座いますと言うので、大分腕も上、
がったであろうと笑ったのです、

おふくがアジの叩きと塩焼きに七輪に網を載せてハマグリを焼いて口が開くと醤油をたらすと、いい匂いがして来たのです、さあ焼けましたよと言うので、箸を着けて食べてこれは美味、
い、酒の肴にはぴつたしじあなと言うと、夏になるとこの倍の大きさのものが九十九里浜では取れるそうですと言ったのです、玄海屋の番頭も来たので小上がりに上げて再び杯を重ねる、
と、

七衛門の旦那様からご家老様がお越しになると文をいただきました、20石船の乗り心地はどうでしたかと聞くので、帆が2枚はってあったが今日は後ろからの風で水門までは凄い速さだ、
ったぞ、水門からは向かい風になるが上手く前に進めるもんじあなと言うと、船底に横に行かないように板が取り付けてあり、あまり斜めには行かない工夫がしてありますので前に進、
めるそうなのです、

銚子の船大工が、工夫したそうに御座います、お陰で早いときは4時、遅くとも7時あけば、片道は走れますと言うので、刺し身も印西で食えるわけじあと言うと、ハイ、午前中の便では、
運んでいますが、昼飯時で売り切れになるそうです、明日の昼には、食べられますと言ったのです、大分儲けて沢山の冥加金を、納めてくれたそうじあな、感謝しておるぞと言うと、

儲けた一割です安いもんで御座います、江戸よりの古着も沢山売れています、古着を色んな物に仕立て直す、仕立て屋も繁盛しております、中でも余った晴れ着をつなぎ合わせた小袖が、
評判だそうですと言うので、そうか、その方法は前田利家公の奥方お松の方が、昔貧乏で晴れ着の切れ端を、呉服屋から貰って作り着ておられたそうじあ、秀吉公の奥方がそのあでやか、
さを目にとめられお召しになると、

着物を切り刻んでつぎはぎの小袖を作るのがはやったそうなんじあよと、よく歌舞伎の衣装にも出てくるであろう、ようするに奇抜な衣装から歌舞伎者と言う言葉が生まれたのじあよ、
前田利家公は歌舞伎者、伊達政宗公はしゃれと皮肉が、得意なので伊達者と、言われておるのじあというと、なんでも工夫しだいで、商いになると言う事ですね、と言ったのです、

熊吉が調理場から顔を出してお戻りなさいましたかと言うので、一段落ついたかまあ一献と言うと、徳衛門が酌をして飲み干し、干拓はどうじあと聞くと、まず印旛沼間の水路は完成、
して佐倉の城下と銚子は船で行き来できるわうになりました、干拓は印旛沼が3万石、水路脇が2万石で5万石が終わり、水田の整備をやっています、来年には作付けできるようです、

入植は来月から御家人が沢山現地入りをするそうです、ご家老の言われた方法を相模屋の旦那が柳沢様に上申されて、御家人に加増する形にされたそうです、さすがに生活に困窮して、
いたようで、千人同心と同じ格式なので大勢が名乗りを上げたそうです、入植の為の資金も上様が裁可されたそうです、柳沢様がその策はご家老の指南であろうと言われたので、そう、
ですとお答えになったら、

まさかその褒美に、開拓した用水路まわりの新田をよこせとは言わんだろうなと言われたそうで、相模屋の旦那がタダで教えるはずはないので何かを狙っておられるのかもしれないと、
言うと、気をつけねばと言われたそうですと笑うので、なにも狙ってはおらんわい、隣が繁盛しないとこちらが悋気を買うからのうと言うと、役人ではこの陣屋のような町作りは出来、
ないので、

入植した者がこの陣屋町に遊びに来て、金を落すと言うわけですなと徳衛門が言うので、中々の読みじあな、実はそれが狙いなのじあと言うと、熊吉がヤッパリ狙いがあったのですね、
と笑ったのです、うなぎの稚魚も春になると沢山とれるじあろうと言うと、ハイ、楽しみです、スッポンはご家老の下さっ遠眼鏡で留吉が見たところ、放した50匹あまりは順調に育っ、
ているそうで、

後50匹増やしたら出荷すると言っていました、米ぬかの団子は毎日ぺろっと食べるそうです、うなぎは出前が多くて、ここではあまり出せないのです、昼に出して売り切れると夕餉の、
時間に文句が出るのですよ、銚子から沢山魚が入って来るようになりましたので、色んな料理が出せますと嬉しそうです、料理屋はと聞くと、新鮮な魚が食えますので城下の旦那衆が、
沢山きますと言うので、

佐倉の城下はと聞くと、ここの旅籠が満員なので佐倉に流れていますので、佐倉の城下も賑わっています、成田街道も千葉、船橋までは工事は終わったそうです、今は木下街道を船橋、
につなげて、成田街道にもいけるそうにするそうで、船橋から市川の渡しを通り千住の大橋までやれば総ての工事は終わりですが、後2年はかかると富蔵の頭が言うておりましたと言う、
ので、

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