第48話

文字数 3,085文字


源三郎江戸日記(弟二部)48

ここの払いだと1000年分ですよと笑ったのです、熊吉が唸っているので、うなぎとすっぽんの池はダメじあぞ、それでは全部逃げてしまうからなあと言うと、うなぎはもぐって逃げ、
るのじあないですかねと言うので、池の鯉が手を叩くとくるのはエサを貰えると思うからじあよ、うなぎもいちいちエサ探ししなくて良いと思えばそこにいっくんだよ、エサは米ぬか、
が良い、

白米には大して栄養ははいっていないのじあ、米ぬかの部分がたまごの部分であそこから芽が出るのじあよ、一番栄養があるわけじあ今は捨てているじあろう、あれは固めれば美味く、
て滋養になる、労咳になった者に食わせれば元気になるぞ、漬物に米ぬかをつかうのは米ぬかの養分が漬物に入り美味くする為じあよ、野菜に肥料をやるのと同じなのじあ、潜って、
逃げたいものはほうっておけば、

ルソン沖に戻り卵を産み、その子供が印旛沼に帰ってくるかも知れんじあろうと言うと、そうですね、留吉もスッポンに米ぬかでだんごを作り甲羅干しの場所に並べていますよ、喜ん、
で食べるそうです、他にも藻やタニシ、えび、かえるなんかも食べるそうですというので、中々詳しいんだなと言うと、わたしも留吉に色々教わっているのですよと言ったのです、

この事は医術書に、書いてあったのじあよと言うと、相模屋がそうですね、医術の基本は人のからだに、どういうふうに栄養を、行かすかが大事なんですな、と酒を飲み干しご家老、
に会うと儲かりますと笑ったのです、わしは3日後に江戸に戻る、後は宜しくなと熊吉に言うと、ハイ、たまには足を運んで、くださいと言うので、そうじあな、次に来る時にどう、
なっているか楽しみじあなと言ったのです、

富蔵が店に入って来てここでしたかと、言うので小上がりに上がらせてご苦労だったな、まあ一献と言うとおふくが酌をしたので飲み干し、昨日色々成田街道を、調べてみましたら、
江戸に物資を運ぶには船橋への街道を広げたほうが良い事がわかりました、佐倉から船橋ですと約6里ですので、半日で行く事ができます、後は小型の船で深川へは半日ですので1日、
で江戸へ運ぶ事ができますと言うので、

それは凄い今は江戸には100万人の人が住んでいる、これが完成すれば東北や蝦夷、銚子の魚等の物産が、利根川を通って水路を通り佐倉から、陸路で船橋に運び、小型船で江戸まで、
運ぶ事が出来、食料不足が解消されるわけだと言うと、そうなんです山脇様も喜んでおられましたよ、印旛沼周辺の米、野菜、果物、も江戸の食料としても大事なわけですと言った、
のです、

わしは江戸にもどらねばならん、後は頼むと言うと、ハイなるべく早く完成させますと言ったのです、熊吉がそれなら簡単にうなぎ、すっぽんも江戸に運べますね、張り切って養殖、
にも精を出しますと喜んだのです、相模屋がご家老はまるで、幕閣の老中首座みたいですなと言うので、それはお前が後押ししている、柳沢様じあろうと言うと、稲葉様とは仲が悪、
いですから、

柳沢様が言われても、稲葉様は色々難癖をつけてやりませんよ、ご家老だから説得出来たのです、熊吉第一印旛沼と第二印旛沼の水路は、すぐにかかってくれ、と相模屋が言ったの、
です、徳三郎が戻ってきたので、どうであったと聞くと、女子とはあんなに良い者で御座いますか、まるで天国に行ったみたいでしたと言うので、わかったか、しかし女子にはまる、
と身を滅ぼすから気をつける事じあというと、

ハイ、早く嫁をみつけますと言ったのです、富蔵がもう一つ利根川から江戸に運ぶ良い道があります、水門から少し行った所に木下と言う場所がありここから行徳までは7里、江戸川、
から隅田川の水路を整備すれば簡単に江戸に物資を運べますと言ったのです、後にこれは木下街道となり成田街道としもに江戸に物資を運ぶ重要な街道となります、なる程整備すれば、
色々とあるのだな、

富蔵には色々道普請で活躍してもらわねばならん、体には気をつけるのじあぞと言って、そろそろ陣屋にもどろうと言うと席を立ち陣屋に戻ったのです、3日後には陣屋を出立すると、
陣屋町には沢山の町衆が見送りに出て別れを惜しみ、印旛沼から佐倉城下をとおり成田街道を下っていったのです、富蔵も同行して成田街道の中間地点で左が千葉で右が船橋ですと、
言うので、

それでは船橋に向かおうと言うと、道が整備されていませんがと言うので、構わんわずか3里のみちのりじあと言って進んでいくと、意外と平坦が続きこれなら道幅を広げれば多くの、
荷馬車が通せそうです、程なく船橋に着きそこから市川の渡しに行ったのです、さて川をさかのぼり浅瀬を渡るか、どうするかじあなと言って、茶店で休む事にしたのです、ここに、
ある渡し船では馬は渡せません、

ここをさかのぼり浅瀬に行くには4里もあるのか、幕府は橋をかける事は禁止しているからなと言うと、富蔵がいい方法がありますと言って海まで出れば水位は引き潮なら一間位です、
馬の顔は水面から出ます、少し深みでも馬は泳げますので渡る事は出来ますと言うので、水練と言う訳じあなと言うと、荷物は船で渡し、馬で渡りましょう、ここで一泊して明日の、
引き潮時に渡れます、

さかのぼっても何処かで泊まることになりますと言うので、あの道で一日でここまで来たのじあ、最短の道のりと言うわけじあな、もっと良い方法があるぞここは流れが穏やかじあ、
江戸川を浦安までいかだを組み江戸にはこんでいる、何処かに材木置き場があるはずじあ、そこでいかだを作り馬を乗せて渡ればよいと言って、茶店の主人に聞くと江戸に運ぶ材木、
置き場があると言うので、

いってみる事にしたのです、材木置き場に行くと男たちがいかだを組んでいます、このいかだには何貫目載せられるのだと聞くと大体150貫目くらいですというので、馬が120貫目、
人が20貫目として全部で140貫目じあな、十分馬と人を乗せられると言うと、それだけ載せて渡るには人が4人は必要ですので200貫目くらいになりますので無理ですよと言うので、

人はたずなを持つものだけで良いのじあ、川幅は狭いところで大体100間くらいだな、縄を結びつけて150間にしていかだに結びつけ対岸から3人位で引くのじあよ、反対側にも150間、
の縄をつけて、引き戻してせば良い、馬は臆病だからいかだの周りに手すりをつけるのじあと言うと、頭がなる程そうすれば両方から馬でも人でも大勢わたせやすね、人だけなら、
8人は乗せられますと言うので、

そのいかだに手すりをつけて縄をつけてくれ、終ったら川に入れるのじあと言って、待っているとおわりやしたと言うので、片方の縄を引いて対岸に船で三人行かせたのです、まずは、
わしから行くぞと馬をいかだに引いていき載せて首筋を叩いて落ち着かせて、いいぞと言うと対岸のものが引き、流されないようにこちら岸のものが縄を張ったのです、簡単に向こう、
岸に着き馬を降ろすと、

みんなが手を叩いて喜んでいます、次まいれと言うと、いかだを元に戻し、次々と馬を渡したのです、みんな渡り終わると頭に渡し賃を5両払うと、こんなにいりませんよと言うので、
まず縄を丈夫な船用にしろ、いかだの両川を三角にすれば水の抵抗が少なくなるぞ、いかだの上には板を張り乗りやすくせい、これで運べば多くの荷物も運べるだろう、さすれば、
ここの渡しは儲かり茶店もはやるじあろうと言ったのです、
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