第103話

文字数 2,929文字


源三郎江戸日記(弟二部)103

さすがに疲れてしまい、あやめを抱いたまま寝入つてしまったみたいで、朝起きるとあやめはいません、部屋に入って来て、良い天気ですよと塩と手ぬぐいを渡すので下に降りて、顔を、
洗い部屋に戻ると、朝餉の膳が出してあり朝餉を食べたのです、2日横浜にいて次の日には町田に行き様子を見ると水路は半分出来ており、一緒に水田も開拓していたのです、町並みも、
横浜と同じに出来上がり、

居酒屋や女郎屋も繁盛していたのです、矢部の方も順調なようで、後4ケ月後には作付け出来ると言う事です、街道もそれまでには整備が終わると富蔵が言っていたのです、全部終わる、
までには、後2年はかかりますが、出来た分から入植するので年内には沢山の人が町田、淵野辺、矢部に入植して、一気に人が増えると若狭屋が言っていたのです、横浜から町田をいっ、
たり来たりして、

3月になり一旦江戸に皆は、新しく番頭にした者に任せて、引き上げることにして疾風は山形に連れて帰ってもらう事にして、源三郎達は船で江戸にもどったのです、料理屋にみんなが、
あつまり、とりあえずの成功に乾杯したのです、後は銘々が行ったり来たりで様子を見る事にしたのです、3月の15日になったので、大阪に行く事にして、お峰とお滝に10日もあれば、
戻って来るといって、

七衛門と船にのり大阪に向かったのです、2日で大阪に着き、源三郎は上杉の蔵屋敷に着き、物産の売れ行きの状況を留守居役に聞き、屋敷には逗留しないが何かあれば玄海屋に知らせ、
るように言って屋敷を出たのです、すでに銭屋は大阪に来ていると源信が言ったのです、大阪には源信、お蝶、飛猿、才蔵もつれてきており、阿片を何処でやるかを探っていたのです、

又町方の手が出せない寺だろうと言って探らせていると、源信がどうもこんどは公家が絡んでいるらしく、四条家の衛士が頻繁に銭屋の大阪の出店に出入りしている事がわかったと言う、
ので、貧乏公家が金儲けに加担するのか、まあ荷がつかなければ何も出来まい、ゆっくりやれば良いと言つたのです、それ以降は有効な手がかりもつかめなかったのです、19日になり、
大阪湾を出航して、

大阪湾の入り口の入り江の傍にイカリを下ろして、銭屋の船を監視する事にして待ち受けたのです、夜中になり来るとすれば風待ちをするとして明日の昼ごろだろうと言って船倉で酒、
を飲んでいると、船子が呼びに来たので甲板に出ると、船頭があの月を見てください、段々かけていきますと言うので、はて今日は食の日だったかなと思っていると、色が赤くなって、
きたので、

何か辺だなみんな甲板に集まり、火矢を装備しろと言うと全員が集まったので、様子を見ていると完全に月が欠けて、周りに赤い光が漏れており、段々黒い雲が出て来て直ぐに真っ黒に、
になり雨が降り出したので船倉に入ると、いきなり船が木の葉のように揺れてきて突風が吹き、雷が鳴り出したので、冬の雷とはおかしいなあと言っていると、突然空に光が一面に広が、
ったので、

めを隠せとどなると全員顔を塞いだのです、治まったみたいなので甲板に出ると、月は丸いままで雲ひとつなく、夜空には星が瞬いています、何だったんだと言うと、食の日には色々起、
こると言われていますのでそのせいでは無いですかと船頭が言うので、そうだな、今日は寝よう、明日が勝負だからなと言うと船倉に行き、畳に横になったのです、翌日日が登ったので、
甲板に行くと、

船頭が何かおかしいです、あそこには家があったはずですが消えています、似てはいますがちょっと違う気がします、それに大阪湾に入る船も千石船はではなく、少し小さい船ですし形、
が違いますと言うので、昼まで待って銭屋の船が現れないなら大阪に戻るぞと言ったのです、昼まで待ちましたが銭屋の船は現れないので、大阪に引き返す事ににして進路を船場に向け、
たのです、

左に大阪城が見えてきたのですが、なんだ大阪城はあんなに大きかったかと七衛門が言うので、あれは秀吉公の時代の大阪城だ、夏の陣で焼けたので再建して小さくなったはずだ、そう、
言えば町並みも古臭い感じじあなと言うと、船を停止してイカリを降ろして、ともかく、店に行ってみようと小船2隻にのり船着場に行くと、船着場も違います、上陸するとやけに武士、
の数が多いのです、

玄海屋の店は何処にもありません、七衛門が消える訳ありませんよと言うので、ともかく、源信達は町の様子を探ってくれ、わし達は居酒屋に入り様子を見てみる、そこが集まる場所、
だと言うと、居酒屋に入り酒と肴を頼んだのです、酒を注ぐとどぶろくです、そうか、これはわし達がいた時代よりず~と前の時代なんじあよ、昨日の食の時に何かが起こりこの時代、
に来てしまったのじあと言うと、

いつごろの時代ですかねと聞くので、大阪城が前のままだとすると、慶長19年より前と言う事になり我々がいた時代より100年は前と言う事になると言うと、元に戻れるんですかと聞く、
ので来たからには戻れるだろう、同じ食の日にあの場所にいれば戻れるかも知れんと言ったのです、ここの女に聞いてみようと言って、女中に今年は何の年かなと聞くと、怪訝な顔を、
して、慶長5年9月1日じあがと言うので、

家康様は大阪城にいるのかと聞くので、上杉征伐に関東帰られたが、何処におられるかは知らんと言うので、そうかと言うと、席を離れたので、後14日後の慶長5年9月15日が関が原の、
はずだ、えらいところの時代に来たもんだ、わしらに、何をしろと言うのじあろうと言うと、七衛門が銭は通用するんですかと言うので、小判は改鋳しているので使うとまずいかも、
知れんが、

2朱銀は出来ておらんが、2分銀と銭は大丈夫じあと言うと、それで慶長小判ならいいのですかと言うので、そうじあがと言うと、船に2千両分あります、両替していませんので残って、
いますと言うので、それは良かったそれなら通用するぞと言って、源信達がもどってきたら一旦船に帰ろうといったのです、源信達が帰って来て、この時代は慶長5年9月1日との事です、
関が原の14日前と言うことです、

高鍋藩は西軍に味方して大垣城におり、石田光成は兵を挙げて美濃に出陣しているとの事です、家康公は江戸を出られた頃じあろう、秋月種長様は今は西軍に加担している、関が原後、
直ぐに大垣城にいた西軍の諸将を殺害して開城した為改易は免れているが、そのまま傍観していれば間違いなく改易になる、又関が原では小早川秀明が裏切らなければ家康公の天下は、
ない事になる、

この二つをわしにやれと言う事なのかと言うと、源信が多分そうではないですかと言うので、わしの祖先は3代前で、高鍋の祖父の父上と言う事になる、わしは会った事はないがこの戦で、
は死んでいないので、家系が続いたのじあ、大垣までは馬で二日の距離じあな、行って会って関が原で西軍は負ける事を教えなければならんな、そして関が原に行き家康公に会い、高鍋、
藩が東軍に着いた事を知らせて改易されないようにするしかない、

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