第83話

文字数 2,907文字


源三郎江戸日記(弟二部)83

それでは網元の家で昼飯を食べようと言うと、網元の家に行くと、こちらの座敷から海が見えますと言うので座敷に座り、銘々握り飯を出すと、味噌汁を作りましたので是非飲んで下、
さいと言って出したので、これは済まんと言うと、網元が娘ですというと、妙と申しますと挨拶するので、おう、べっぴんな娘じあのうと言うと、まあ、ご家老様はお口がお上手なん、
ですねと笑ったのです、

今日は馳走してくれるそうじあがと言うと、ハイ、寒ブリ、アジ、キンメダイ等が沢山上がりましたと言うので、イカはないのかと聞くと、ありますが、お武家様は食べられませぬと、
言うので、よし、そのイカを料理してみせようと言って、お妙台所にあないしてくれと言うと、ご家老様が料理なさるのですかと聞くので、まあなと言うと後を着いていき台所で包丁、
を借りて、

樽をみるとイカが泳いでいます、生きておるではないかと言うと、イカ等の青物はすぐに傷むのでこうやって置いて、食べる前に料理するのですというので、どんな料理じあと聞くと、
イカと大根の煮付け、イカ焼です、後は裁いて日陰に干しててするめにしますと言うので、イカを取り出して、腸を取り、尻の方に切り身をつけて手で皮を剥ぐときれいに剥げます、

頭を落とし、細かく切っていき大皿に盛り付けて、胡瓜を取り出して、皮を剥ぎ細めに切って添えたのです、この頭はイカ大根で煮付けに、すれば良いと言うと、すご~い、ご家老は、
板前になれますよと言うので、生で食うた事はないじあろう、食うてみろと小皿に取り、醤油をかけて渡すと、食べて、まあ、甘みがありコリコリして、美味しいですね、それに、
そうめんみたいにつるりと入りますと言うので、

西国ではイカソーメンと言うのだそうだといって、みなに食わしてやれというと、お妙が持っていったので、かまどの灰を手につけて洗い魚のにおいを消して座敷にもどると、江戸屋が、
これは甘くて美味いですね、イカは生でも食えるのですかと言うので、取れたてだから食えるのじあが、カツオと同じで直ぐに痛むので、普通は煮付けにして食うのじあよと言うと、

ここは海から直ぐなので宿場で出せば、名物になりますねと喜んだのです、みんなが酒のつまみにもあいそうですと言うと、お妙が夕餉に用意しておきますよと言ったのです、藤堂が、
ご家老が料理ですかと言うので、柳沢家にも包丁侍はいるでしょう、包丁、ソロバンでも大事な奉公は出来るのです、藤堂殿が修練して村々に会った料理を指南すれば、村が潤い年貢、
も取り易くなるわけです、

取るだけでは百姓が働く気力もなくなりますよと笑うと、まさにその通りですね、お妙夕方にでもそれがしに指南してくれと言うと、ハイ、包丁の握り方からお教えしましょうと言っ、
たのです、相模屋が新田開発だけではなく、色んな事が学べそうですね、わたしも付いてきてよう御座いましたと言ったのです、七衛門が船乗りはまかない飯でよく食べますと言う、
ので、

船乗りや漁師か取立ての一番美味い物を食うているわけじあなと言うと、一緒にいた船子が船で取り立ての魚を裁いて食べると、他の魚は食べられませんと言うので、若狭屋がわしも、
船頭になれば良かったなと言うので、越後屋が若狭屋は小判で美味い物をこうて食べた方が良いのではと言うので、小判は硬くて食えぬからのうと言うと、みんながドット笑ったので、
す、

それでは後は戸塚までの道と引き返して、子安までの道を広げるかどうか検分しょうと言うと、網元の家を出てまずは戸塚に向かったのです、戸塚までは3里の道のりです、馬では1時、
です、ここも広げたほうが良いなと言うと、富蔵が山間ですが小さい山ばかりですので容易ですというので、削った場所はがけ崩れ防止に竹筒を沢山埋め込んだ方が良いなと言うと、
なぜそんな事を知っているのですかと聞くので、

相馬から米沢の道普請をやっていた人足頭が、雪解けには沢山の水が出るので、そうしておくとがけ崩れ防止になると言うていたのじあよと言うと、なる程山間の道普請が得意な人足、
頭ですねと言ったのです、引き返して子安に向かうと、こちらは平坦な道ですが道幅は狭いのです、横浜からは2里の距離です、5里じあな、富蔵ここもやってくれと言うと、簡単に、
道幅は広げられます、

そこで削った土を岸壁の整備に使えますねと言ったのです、実はそれが目的なのじあよ、どこからか運んでこなくて済み、道路も整備できるのじあよと言うと、藤堂がなぜ余計な事を、
するんだろうと思いましたが、そういう為だったのですかと頷いたのです、この分は後で幕府から貰いましょうと言ったのです、子安の宿場を見聞するかと言って宿場を行くと小さな、
宿場です、

前から役人が来て、馬を下りろと言うので、何か用かと聞くと、みれば町人風情が馬に乗っているようじあがと言うので、この者達はわしの連れじあと言うと、馬から下りてもらおう、
と言うので、わしが降りるとお前の首が飛ぶぞと言うと、浪人風情が怪しい奴と言うので、馬を下りて鞍の布を外すと、葵のご紋を見てこれはと言うので、この馬は将軍綱吉公より、
拝領したものだ、

無礼ものめ、わしは今回相模原一体の開発をおおせっかたった、村上源三郎だここまでの道も、ついでに整備してやろうと巡察に来たのだと言うと、ハハ~と土下座するので、土下座、
などせんで良いわ、役人風を吹かして町行く者を威嚇するでない、代官によく言っておけと言うと、きびすを返し横浜に引き返したのです、藤堂が今頃は代官が腰を抜かしていますよ、
と言うので、

その内飛んでくるでしょう、これで整備がし易くなったわけで御座るよ、恐らく戸塚の宿場役人にも知らせるはずじあと言ったのです、一旦寺に戻ると、山形達がついており、良く来、
たなと言って、繋いである疾風に鞍は返すぞ、あしたから頑張ってくれと言うと、ひひ~んと泣いて顔を舐めたのです、山形が難しい馬でそれがしが乗って運ぼうとしましたら、尻はね、
をして載せてくれませんでしたので引いてきましたよと笑ったのです、

ともかく中へ入れと言うと、みんなで、中に入ったので、正座は禁止じあ、戦は総てあぐらじあ、からなと言うと、みんなが大笑いしたのです、これで23人になった、わけじあと言うと、
お蝶が入って来て、佐々木達は、5人一組で馬に乗り東海道を、上り子安から町田を抜けて八王子宿に、分散して宿をとりました、飛猿と才蔵が見張っています、途中の茶店でご家老を、
監視していた者と合流して、

ご家老と玄海屋、若狭屋、越後屋、江戸屋の計5人で船に乗り、夕べ根岸に5人上杉家の藩士が来たので、総勢は10人だと言うていましたと言うので、ばかめ、七衛門の配下を勘定に入、
れていないようじあな、源信とお蝶もここに泊まれ、明日は馬で総勢23人でいざ相模原に出陣じあと言うとお~と言ったのです、何と若狭屋達も軍勢の一員で御座るかと聞くと、全員、
鎖帷子、篭手、すね宛を用意しており、

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