第55話

文字数 2,947文字


源三郎江戸日記(弟二部)55

それで本当の事を言うたら、とっくに知っておった、と笑ったのじあよと言ったのです、お絹が屋敷には案内せず、いつも護衛がついていれば、誰でも身分の高いお方だと気づきますよ、
でもまさか殿とは思いませんでしたと言うので、父親は知っているのかと聞くと、ハイ、申しましたらとつくに気づいていたみたいです、お殿様の申しでだけど厭ならご家老様に言うて、
断るがと言いましたので、

身分違いなので厭だと申しましたら、ご家老が年内に戻られるので話をすると言ったのです、次の日に殿が来られて、側室が厭なら正室にと言われるので、そんな恐れ多い事はできま、
せんと申しましたら、側室になっても今の仕事は続けても良いと言われましたので、お受けする事にしたのですというので、治憲があやうく断られる所じあったよと笑うので、それは、
そうですよ、

何と言うてもも相手は上杉15万石のご当主様ですよ、驚くに違いありませぬと言うと、ともかく良かったというので、さつそく明日にでも、城に上がります、みなにお披露目をと言うと、
あいわかった、お絹よいなと言うと、宜しゅうにお願いいたしますと言うので、治憲の横に座らせ女将が酌を二人にすると飲み干し、源三郎と女将がおめでとう御座りますと頭を下げて、

お絹の方よろしゅうございましたなと言うと、ご家老の事をなんと呼べばと言うので殿と同じに源三郎とお呼びなされと言うと、呼び捨てにするのかと聞くので、しきたりにございますと、
言うと、しからば源三郎よろしゅうになと言うので、ハハ~と頭を下げたのです、治憲が相馬からの街道は冬でも通れるようになったそうじあな、どうであったと聞くので、中々整備して、
ありました、

街道筋もこれからは冬でも賑わう事でしょう、人の行き来ができれば、物も行き来する事になり、米沢は陸の孤島にはなりませぬというと、それは良い事じあな、新田開発、物産会所も、
上手く行っているようじあし、お絹も城に上がってくれれば、この冬は楽しくすごせそうじあと言うので、参勤交代は藩士は相馬から船で江戸に向かいますが、殿は奥羽街道を江戸に、
登らねばなりのせぬと言うと、

藩主より藩士が楽をするとは、藩主は損じあなと笑ったのです、七衛門を呼んでくれと女将に頼んだのです、七衛門が部屋に入って来て挨拶すると、治憲が七衛門街道の整備にも尽力し、
てくれたそうじあな、礼を言うぞと言うので、勿体無い事に御座いますと頭を下げると、一献のめと言うので女将が酌をしたのです、源三郎が七衛門、明日お絹がわが屋敷から城に上、
がるので支度を頼むぞと言うと、

婚礼の支度は整うておりますと言ったのです、お絹に今日は両親に別れの挨拶をしてきなされ七衛門後は宜しくなというと、お引き受けしましたと言うと二人は部屋を出て行ったのです、
翌日は源三郎の屋敷に城から輿が迎えに来てお絹は城に上がったのです、千坂がどうも名主の娘に手をつけられたらしいと言う噂を流していたので、家臣達は驚く事はなくすんなりと、
お絹は側室になる事が出来たのです、

それからもお忍びで柘植を連って物産会所や街中に顔を出したのです、あっと言う間に10日が過ぎて、もう直ぐ12月になります、雪も深くなり江戸に帰る日が来たので、治憲に挨拶して、
江戸に向かい旅立つたのです、徳三郎は剣術の修行の為に米沢に残し、来年の殿の参勤交代にて江戸に登るように言いつけたのです、雪深くなりましたが峠も難なく越す事ができ荷馬車、
や行商人、

地元の領民が沢山行きかっていたのです、相馬領の峠も雪がつもり本格的な冬の到来になって来たのです、1日半で相馬の港に着きここに一泊する事にしたのです、中々整備されておった、
ぞと七衛門が言うと番頭が喜んでいたのです、相馬の海側は冬でも雪は殆どふらないのです、旅籠に相馬忠胤の家老がやって来て、殿がお目にかかりたいと言われております、是非城に、
お出でくだされと言うので、

わかり申した、七衛門そなたも着いてまいれというと、籠には乗らず馬にて城に向かったのです、七衛門にここで待っておれと言って御座所に行き村上源三郎に御座いますと挨拶すると、
わしが相馬忠胤じあ今回は米沢までの街道の道普請をやってくれたそうじあな、当藩も財政厳しくそこまで手がまわらんじゃたのじあ、お陰で助かったぞと言うので、米沢藩の為にもな、
りますので、

お気使い無用に御座います、今回は相馬藩にても、鑑札を貰い商いをしております、玄海屋七衛門の助力によるものに御座います、ここに連れてきておりますので是非ともお目通りをと、
言うと、構わぬこちらに連れてまいれというので、近習が呼びに行って部屋に入って来て、玄海屋七衛門に御座います、お目えをお許し下さりありがとう御座りますと言うと、そなたに、
随分世話になったそうじあな礼を申すぞと言って、

源三郎の事は父上からよう聞いいておる、今回は印旛沼の水路の水門を完成させたそうじあな、上様も大層お喜びになったそうじあ、治憲殿もわしも養子じあ近隣藩なればこれからも宜し、
く頼むぞ、そうじあそなたは正座が苦手であろう、わしも足を崩すのでそなたも崩せ、七衛門も崩してよいぞと言うと、七衛門が私は正座の方が楽で御座いますと言うので、源三郎がそれ、
ではごめんと言って足を崩したのです、

誰か笹を持てというと、腰元が膳を持って来て並べて酌をすると、一献のんでくれと忠胤が飲んだので二人が飲み干すと、わしは土屋正信の次男坊じあ治憲殿とは同じ外様なので城では、
話をする事もある、我が藩も財政はきびしいのじあが、何か改革できる知恵はないものかのうと言うので、米に頼る時代は過ぎました、相馬の海は暖流と還流がぶつかり、多くの魚が、
おり、

良い漁場が沢山あります、伊達、米沢、会津等の内陸部は新鮮な魚は食する事は出来ませんでしたが、街道を整備して早く荷だが運べるようにすれば、新鮮な状態にて供給する事ができ、
ます、魚はエラで呼吸して水より空気を取り出して呼吸しているのです、したがって狭い桶にいれておけば水中の空気がなくなり死んでしまいます、もたせるにはまず海水を汲んだばか、
りの樽に魚を入れて、

空気を常時送り込めば死ぬ事はありませぬ、空気を送り込むのはたけで作った水鉄砲にて水ではなく空気を送り込むのです、人の手でやると大変ですから車の車輪に水車で使う持ちつき、
見たいに棒が上下に引きこめるように工夫すれば水鉄砲の取ってを上下させる事ができます、その先に竹の筒を取り付けまげて樽に入るようにしておけば良いのですと言うと、なる程、
海水に空気を送り込むわけじあな、

これは面白い、大工に作らせれば良いわけじあな、荷馬車の樽に生きたまま魚を入れて運ぶのか、それなら山奥に海水の池を作り空気を送り込めば長く生きているので、エサをやれば卵、
も生んで増えるかもしれんなと言うので、なる程それも良いですな、さすがの工夫で御座ります、相馬の国境に海水の池を作り放流しておけば山奥にでも新鮮な魚を届ける事が出来ます、
良い商いになりますと言うと、

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