第27話

文字数 2,735文字


源三郎江戸日記(弟五部)27

一通りの指南が終わり、城下に戻り、みなに別れを言って宇都宮に向ったのです、ここからは約13里の道のりです、半分まで行っとた時大勢の百姓が集まっているので、どうしたのだと、
聞くと、川の上流で大雨が降ったみたいで、川が増水して、中州に子供が取り残されています、水の流れが急で、助けられないのですというので川に行くと、中州に5人の子供がいます、

水かさは段々増えてきているみたいで、このまま行けば全員が流されてしまいます、中州には松の木が2本あり、みんなはそれにしがみついています、よし細い縄と太い縄に井戸の滑車、
を持って来いと言うと百姓が取りに行ってもって来てので、まずは細い縄を弓の矢にくくりつけ中洲に打ち込んだのです、その縄の後ろに太い縄を縛りつけ、みんなで縄を引くのだと、
言うと子供達が縄を引いたので、

その太い縄を松の木の根元にグルグル巻きつけて縛れと言って、縛らせて、こちら側を土手の松の木に縛り付けたのです、井戸の滑車をぶら下げて、太い縄でワッカをつくり、源三郎、
がそれに乗りこんで手を放すと滑車は中州に転がって行き源三郎が中州に下りて、こんどはこちら側の方を高く土手川を低くさせて、子供を乗せて落ちないように縛りつけて対岸に滑、
べらせたのです、

あらかじめ滑車に細い縄を付けていたので、それを引っ張って滑車を戻し、次々と子供達を対岸に送り、最後に源三郎が渡ったのです、百姓が有難うごぜえます、お武家様は命の恩人、
です、井戸の滑車を使うとは愕きましたと言うので、水が引いたらあの仕掛けは外しておくのだと言うと、子供がおじちゃん面白かったよと言うと、いいか、取り残されても泳いで、
渡ろうとしてはいかんぞ、

水に流されて死んでしまうからなと言うと、うん、絶対に渡らないだと言ったのです、この村の庄屋の作衛門です、もう直ぐ昼時ですしじみの味噌汁があります、家に寄ってくざさい、
と言うので、そうか、それでは馳走になろうといって、家に行き、味噌汁を貰い握り飯を取り出して食べたのです、ここは宇都宮藩領じあが、暮らし向きはどうだと聞くと、去年は、
豊作だったので食うていけます、

お殿様はご老中になられたそうで、江戸詰めで費用がかかるそうで、今年から税を値上げすると郡代様から言われています、どの位上げられるかはまだ分かりませんが、それによって、
暮らし向きが悪くなるでしょう、幸い稲穂の育ちは順調ですがと言ったのです、迷惑な事じあな、新田開発はやっているのかと聞くと、財政難で開発費用は出せないそうですと言うの、
で、

費用が出せるとすればどの位開発出来るのじあと聞くと、この村で3000石は見込めます、それがあれば税を上げなくても、良いのではないかと思いますがと言うので、場所に案内して、
くれと言うと、貴方様はと聞くので諸国巡察視の村上源三郎じあ、戸田殿と同じわしも老中じあよと言うと、平伏するので、頭を上げよ北国を巡察している処じあ、新田開発もわしの、
役目じあと言うと、

今からこび案内しますと言って、馬に乗りその場所へ案内したのです、山裾なので溜め池を作る必要があります、3つもあれば間に合うと思います、費用は2000両もあれば間に合います、
と言うので、なぜ今まで手付かずになっていたのじあと聞くと、先代から開発の嘆願をしているのですが、藩からの費用が下りずに、自力で500石分は開発したのですが、農作業の合間、
なので中々はかどりません、

2000両あれば日当が払えます、近隣の村からも出稼ぎにきますので、早く開墾できますと言ったのです、わかった、わしが5000両を用意しよう、又鉄の鍬を付け、そりに装着して馬2頭、
に引かせれば簡単に開墾できるぞと、方法を絵に書いて、その他脱穀装置の作り方も教えたのです、金寸は返すには及ばぬ、ここが上手くいけば、近隣の村も開発するが良い又米ばかり、
では無く、

何か特産品も奨励して生活の糧にするのじあ、藩にはわしから税の値上げは猶予するように言うておくと言うと、ありがとう御座ります、さつそく開墾に入ります、来年までには作付け、
出来るようにして、戸田様がご老中として力が発揮できるように増収に勤めますと言うので、5000両分の為替手形を渡して、これを宇都宮の城下の両替商で金寸と交換せよといったので、
す、

庄屋の家に戻ると、地酒ですと湯のみに注ぐので一口飲み、これは辛口じあな冷えてて美味いと言うと、この辺は水が良いので良い酒も造れますと言ったのです、戸田殿は江戸詰めにな、
るので、治世は重役に任せねばならぬが、誰がやっているのじあと聞くと、中老様が4人に、国家老1人でやってなさります、5年前の騒動からやっと治世も良くなったのですと言うので、

何があったのじあと聞くと、その頃側室に、お伝の方がおられまして、殿の寵愛を一手に受けられていたのだそうです、それを良い事に政まで、口ばしを入れられるようになったそうで、
奥向きの費用を下げるように上申した中老柴田様は切腹においこまれ、その他にもお伝の方の勘気に触れたとして、大勢の者が改易切腹、お役御免になったそうです、奥向きの贅沢の為に、
領民は重税を掛けられたのです、

5年前の花見の宴席が終わった時、廊下で岡村左内と言う250石取りの勘定組頭が、お伝の方を柱に押し付け左胸を一突きして、殺害したのだそうです、殿様がお怒りになり斬首にせよと、
言われたそうですがご家老以下中老の方が詳しく取り調べた後に斬首すべきですと言われたので、目付けによる取調べが始まり、自分の一存で藩政を壟断している奸賊を討ち果したまで、
で斬首は覚悟の上だと言って神妙にしていたそうなのです、

斬首は致し方ないと言う事になったのですが、ご家老がだれもお伝の方の狼藉を止められなかったので、死を覚悟して事に及んだのだろう、そのような者の首を跳ねては歴代の恥となり、
今後は誰も殿を諌めるものはいなくなり、藩政は乱れ、やがてはお家は断絶するだろう、お家取り潰しはやもえないが命は助けるべきだと言われたそうなのです、中老の中田様は殿の、
側室を殺めた者なれば、

斬首は致し方ないが、色んな事情にかんがみ切腹にするべきだ、と真っ向から反対されたのだそうですが、衆議ではお家改易領内追放を殿に進言なされたのだそうです、殿は家老、中老、
藩士の多くが助命嘆願したため、極刑を諦めて、お家取り潰しの上領内追放をいいわたされただそうです、それよりは藩政は元に戻り、領民も重税から逃れる事が出来たのですと話し、
たのです、

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