第70話

文字数 2,921文字


源三郎江戸日記(弟二部)70

節にそなた達も振りかけて食してみろと渡すと、みんなが振りかけて、美味しいですねと言うので、これをやると叉叱られるんじあよと言うと、源四郎が何故でごさいますかと聞くので、
折角お百姓が作ったお米なのに、何かを振り掛けないと食べられないとは、失礼にあたりますと言われるのじあよと言うと、源四郎が武士とは辛いもので御座いますね、深川のお爺様は、
何も言いませんよと言うので、

そうかお爺様は好きかと聞くと、大好きで御座います、安兵衛も好かと聞くと、優しくしてくださります、安兵衛も大好きに御座いますと言うので、お爺様は喜びなさっているじあろうと、
言って、腹一杯くうたぞ、何だか眠くなってきたなと言うと、お律がほら始まった、子供に悪い影響を、与えますよと言うので、お律は段々母上に似て口やかましくなってきたなと笑うと、

これと母上が言うので、済みませぬ口がすぎましたと言ったのです、母上がそれではわたしはと部屋を出て行くと、いけない、怒らせてしまつたかなと言うと、お滝が炬燵に早く入りたい、
のですよと言うので、そうか、ここは寒いなと言って、炬燵に入りながら飯を食うと、怒られるかと言うと、米沢の殿はどうですかねとお滝が言うと、お絹の方と炬燵に入りながら飯を食、
うておられるじあろう、

米沢の寒さはこんなもんではないぞと言うと、兄上源四郎も米沢に連れて行ってくだされと言うと、安兵衛もでございますと言うので、よし雪をみせてやろうというと、お律が兄上私はと、
言うので、雪解け前に連れて行ってやろうといったのです、お節達の部屋にも、炬燵はあるのかと聞くと、ハイ、ありますと言うので、フスマは少しあけて、おくのじあぞ、締め切ると、

悪い空気が蔓延するからのう、それから火の始末だけは気をつけてくれと言うと、ハイ、気をつけていますと言ったのです、お律も母上によう言っておきなされと言うと、ハイ、気をつけ、
ております、火鉢を入れている時も同じです、一番危ないのは兄上ですよ、と笑ったのです、源四郎と安兵衛は決して、炬燵の中には入っては行かんぞと言うと、ハイ、と返事したのです、
それでは炬燵に入りに行くかと立ち上がり部屋に戻ったのです、

炬燵に入り、これはぬく、ぬくじあなと言うと、お節が酒と肴を持って来て酌をするので、後は手酌にするから構わなくて良いぞと言うと、ハイ、ご家老様の夕餉は珍しいですねと言う、
ので、みんなで飯を食うからじあろうと言うと、ハイ、私の実家でも父上が終わってから頂きます、お湯も父上が終わってからと決まっておりますというので、いいでは無いかみんなで、
食うた方が美味いし、

風呂も早く入らんと、薪が持ったいないだろう、ばかばかしい事を誰が決めたんじあろうなと言ったのです、実家にも宿下がりで炬燵を教えましたら、母上は凄く喜んでいましたが父上は、
そんな軟弱な者はいらん、と言うていましたが、私がここに戻るとちゃんと、入っているそうですと言うので、やせ我慢して風邪でも引いたほうがよっぽどばかばかしいぞと笑ったのです、

お節がさすがに本宅には置いてないそうですが、昼にお留守居役様がよくこられます、大奥様とよく炬燵に入って酒を飲んでおられますよ、さて、寒い国に帰るかと言って帰られるそうで、
すと言うので、本宅の母上も意地をはらなくても良いと思うがな、政種様も玉姫様も喜んで入っておられるよと言うと、ご重役ですから武士の面子があるのですよと言うので、今度上様、
や柳沢様に教えよう、

そうすけばみんな入る事になり、面子もくそもなくなるじあろうと言うと、公方様とお会いになった事があるのですかと聞くので、いや、ないが来年上屋敷にお渡りになると、柳沢様が、
言うておられた迷惑な事じあなと言うと、名誉な事ではないですかと言うので、そうかのう、わしはそうは思わんが、接待する藩士は、落ち度がないかひや、ひやするだろうと言うと、

それはそうですねと言ったのです、お滝が入って来て、お節もういいですよ、寒いでしょうみんなは炬燵に入ってぬく、ぬくしていますよ、お節も入ってきなされと言うと、ハイ、これで、
失礼いたしますと部屋を出て行くと、わたくしもと向かいに入ったのです、酌をするので飲み干して、お滝も飲めと杯を渡して酌をすると飲み干したのです、炬燵は天国ですねと言うので、

そうじあな、足と足が触るとみょうな気分になるなと、足を股の間にいれると、ダメですよと言うので、いいではないか、炬燵はこの楽しみもあるのじあよと言うと、本当にみょうな気分、
になりますと言うので、これは息子が騒ぎだしたぞと言うと、お滝が足でさわり、本当ですねと笑ったのです、もう我慢できぬと言うと、手を引いて寝間に連れて行き帯びを解いて燃え、
上がったのです、

お滝が起き上がり火の始末をしてきますと、火鉢を取り出し灰をかけこれでよしと言うと、再びフトンに入って来たのです、お節はどうですと聞くので、風月堂と言えば大店ではないか、
なぜ行儀見習いなんぞに上がるのじあと言うと、町人はお武家にあこがれているのですよ、娘が武家に嫁げば舅ではないですか、他に自慢できるのですよと言うので、本人は武家に嫁ぎ、
たいと思うているのかと言うと、

女子は父親の言う事には逆らえませぬ、厭な相手にも嫁ぐ人は沢山いますよと言うので、気の毒な事じあなと言うと、もし、私に女子の子が出来て、町人に嫁ぎたいといったらどうされ、
ますと言うので、本人が好きな男ならいいではないかと言うと、仕来たりの違うところへ嫁げば相手のお姑と合わずに一生苦労します、私は行かせませぬと言ったのです、そうか本人、
同士以外とも上手くやらなくてはいかんのかと言ったのです、

元禄16年は江戸で地震が頻発し元禄17年は宝永と年号が改められたのです、源三郎はつつがない正月を迎えて松の内が過ぎると飛び地印西に巡察に出掛けたのです、お滝を連れて銚子ま、
で船で行き利根川をさかのぼり印西まで行く事にしたのです、深川から小船で佃沖の玄海屋の千石船にのりこみ、一路銚子に向かったのです、江戸湾から駿河湾に入り、方向をかえて、
北上したのです、

1日で銚子につき銚子で旅籠に泊まり、翌日川舟に乗り換えて利根川をさか登ったのです、玄海屋の20石船に物資を積み風向きもよく帆を一杯にはって進んでいったので、銚子からは20里、
はありますが船で半日の距離です、昼過ぎには水門に着き、薮椿、白梅、黄梅が沢山花を開かせていたのです、真冬でも花は咲くのですねとお滝が感激していたのです、川船は沢山行き、
かい、

印西の繁栄をみるようです、水路を1時でさかのぼり印西の船着場に着くと、山本達藩士と名主が出迎えたのです、陣屋に行くと、すでにこの辺まで町屋が出来ており陣屋町は大勢の人が、
歩いていたのです、陣屋に入り御座所に行くと、役目で外にいっている者の他が、集まったので、みなの者ご苦労である、中々町も繁盛しているようじあ、これもそなた達の努力の賜物、
であろ、

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