第34話 消え侘びぬ

文字数 1,083文字

 都会の中にあって人気のない木立の間をゆっくりと縫うように学校帰りの飯野美和子は歩く。散ったばかりの落葉は柔らかく積もり雲の上を歩いてようだった。実際の雲は常緑樹の葉に阻まれ美和子のいる場所からは見えない。昼だというのに、この林の中は暗かった。
 すれ違い様に木肌へ触れる美和子の細い指先。どちらも冷たく固く閉ざされたまま簡素な挨拶を交わし、もう決して出会うことのない、この時の手触りを刻みながら離れゆく。美和子よりもずっと長い、時の移ろいを夢見る木。
 これも夢、これは記憶、それは願い、あれは言葉、教科書やノートの詰まった重い鞄を投げ捨て、しゃがみ込んだ美和子は両腕を大きく広げて周りの落葉を集めた。うず高く積まれた夢と記憶と願いと言葉の山。思春期の溢れんばかりの謎の全てを掻き集め、美和子の創造する山はどんどん高くなる。
 目を瞑り、両手を掲げ、つま先立ちで大きく息を吸い込んだ身体へ冷気が流れ込む。明日を何で埋め合わせればよいかなんて想像もできず、ぽっかりといつも空いたままの心。分からないから全力で美和子は走り出す。
 舞い上がった赤い落葉、枯れた枝の折れる音、駆け抜けたあとに残された美和子の熱い息の戸惑い。勢いを殺さぬままマフラーを外し、コートを脱ぎ捨て、百日紅に片手を引っ掛けると美和子は木の周りをグルグルと回る。
 美和子の世界は回り、遠心力で加速した美和子は一直線に落葉の山を目掛け走る。高鳴る胸、なびく髪、過ぎ去る光景、全てを捨て去りながら。
 制服姿の美和子は落葉の山の中へと飛び込んだ。
 この忘れていた鼻をつく土の香り、頬に湿る葉身、眼前の真紅や山吹の色彩、聴こえてくる美和子の鼓動。
 このままどこまでも深い眠りへ落ちて行ければ幸せなのに、このままどこまでも深い穴の中へ落ちて行ければ見つかるのに、このままどこまでも、このままどこまでも、ずっと……
 起き上がった美和子は鞄に手を伸ばすとノートとペンを取り出し、複雑な数式の並んだノートの後ろのページの空白に言葉を記した。
「木は立っているようで実は流れていて、大地がふわふわしているのは私が定まらないからで、体の中で爆発しそうなあれもこれも全部積み重なるとまあまあ高くなるから、慎重に心を落ち着かせて、気持ちが決まれば、本気で真正面からぶつかり、私が粉々になるのも、そのときはまあしょうがないじゃない」
 木々をすり抜ける木枯らしに身震いした美和子は慌てて立ち上がると、制服に付いた落葉を手で払った。そして突然、閃いたように「ぽろぽろと落ちたのは枯葉だけじゃない。何か色々落ちた」と言葉の最後へ付け加えた。
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