第11話 宿ごとに

文字数 957文字

 不要不急の外出は控えるように、と政治家が会見するニュースを長谷川恵理子はぼんやりと眺めていた。一緒に見ていた交番の同僚は、犯罪者もおとなしくなって不要不急の出動もなくなる、と言っておどけた。
 確かに日を追うごとに交通事故の件数が減り始め、人対人の軽犯罪の発生も極端に少なくなった。ただ、代わって空き巣が台頭し、犯罪や事件の質が変化したのは明らかだった。人は馴れ、そこに新しい社会が生まれれば、結局、争いや新しい犯罪が湧いてくる、ただそれだけのことなんだ、と恵理子は思った。
 緊急事態宣言の発令以降、見回りの頻度は多くなり、恵理子は自転車で巡回に出た。
 遅咲きの梅と小振りながらも盛りの桜が恵理子の眼を楽しませたが、昼間だというのに見渡す限り道には人気がなく、車すら走っていない。今年の春が本当に訪れたのか疑いたくなるほど、寂しい町はどこまでも続いていた。
 交番へ戻ろうと住宅街の狭い道を走っていると、開いた家の窓から賑やかな声が聴こえ恵理子は立ち止まった。誰もいなくなったような世界に響き渡る人の声が、さまよう恵理子を引き留めるように。
「ご苦労様です」
 突然、声を掛けられ驚いた恵理子が振り返ると、木の陰から庭の手入れをしていた年配の男性が現れた。
「あっ、こんにちは…… お身体の調子はいかがですか?」
 フェンス越しの立ち話は、町の変化を知る機会となった。
 ほとんど交流のなかった町の人々の間に気遣いが溢れ、ほったらかしにされていた家々の無残だった庭も今や手入れが行き届き花盛り。まるで春の訪れと共に町も花開いたようだと男性は語った。
「あの高層マンションなんて夜遅くまで灯りはまばらだったけど、今じゃあ夕方にはどの部屋も煌々と灯りが点り、あそこにも多くの人の営みがあるんだと、今さらながら感じるわけですよ」
 恵理子は自転車を漕ぎながら思った。次々と飛び込む世界中の不穏なニュースに惑わされ、感傷的になり過ぎていた自分を恥じた。そして、警察官として自らの職務は、広い世界のこの小さな町の治安を守ることだ、と。
 交番に戻り遅い昼食をとっていると、事故発生の無線が入った。
「私も行きます」
 引き締まった顔で出て行く恵理子を見送った上司は部下に問い掛ける。
「長谷川は最近どうだ?」
「いよいよあいつも一人前の警察官ですよ」
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