第95話 暮ると

文字数 1,052文字

 闇の中を彷徨うように一筋の淡い光は横切り消え去った。微かに明滅する弱々しいその光は蛍のようにも見えたが、ここは都会の真ん中であり、今は冬である。
 光を見たのは平松香奈の他にいない。すぐに消えてしまった光の残像は、強い印象を香奈に残したが何かも分からず、その場を後にした。
 暗い夜道を抜けた香奈は明るい表通りへと出た。往来の車のライトや灯りの点いたビルの窓、延々と広告を流す電光掲示板、光に溢れた街。香奈の鞄の中の携帯電話はSNSの通知を知らせ発光している。今やここに闇はなく、夜は光を纏い、昼の姿さえも光の中へと吸い込んでいる。香奈もまた、この明る過ぎる光の中に生きている。溢れかえる光は気を引こうと益々輝きを放つ。
 光に引き寄せられた香奈のような人々は、本当に光を求めていたのだろうか。汚れや真実を隠すためにより強い光に照らされ、眩さに映し出された言葉の偽りさえも見誤るような、この光を果たして信用しているのだろうか。
 この光の中にあって、光に掻き消された人もまた大勢いた。同じ街で過ごしながら、すれ違ったことさえも気付かない人々。力強くなる光は、どこまで輝き続けるのだろうか。
 香奈は気付かぬまま、この都市の光を追っていた。音よりも早く広がる光の速度は、次々とあらゆるものを駆逐し呑み込んでいった。到底、人には理解できない速さで拡散し、大気を突き抜け、やがて時間と絡み合い、どこまでも伸びてゆく。
 もはや香奈には見えないはずの光を同じままの光と信じ、いつまでもそこで変わらずに輝いているものだと思えた。しかし、常に輝き続けている光は新たな光を放ちながら変わり続け、今や香奈さえも光の彼方に飛ばされようとしていた。だが、それに気付くよりも前に、光は思考さえも侵食し、光のことを思うこともなく、光に包まれる。
 光の中に香奈は過ぎ去ったものを見るだろう。また、光の中で新しい自分に出会うだろう。たくさんの姿形や思考が混ざり合い、全ては一瞬にして燃え尽きた。何も考えず、どうあることも正しく、完全なるものとして、存在してはならないために、なくなるのだった。もう光を見ることもない、光として香奈はいる。
 朝日を浴びる街の片隅、眠る香奈の枕元で携帯電話の目覚ましが発光している。眠りの底にまで届いた光は夢さえも光に包み込み、適当な言葉も見当たらない連続性のような中で、今、光ですらなくなろうとしている。昨日の陽に告げた別れを忘れ、今朝もまた人の胸を焦がす陽は昇る。光は光を重ね、やがて何も見えなくなるのだろう。
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