第36話 袖のうへも

文字数 883文字

 服を勢いよく脱ぎ捨てた真野留美は、ひんやりとした風呂場へ入った。
「寒っ」
 つま先立ちでガタガタ震えながら蛇口のハンドルを捻り、シャワーの水が湯に変わるのを待った。この少しの間が、いつもより長く感じる。そして指先でしっかりと温まった水温を確かめると、留美は勢いよく飛び出すシャワーを頭から浴びた。
 湯が留美の長い髪から背中へと流れ、冷え切ったつま先は湯の温もりに感覚を取り戻し始めた。湯が身体を伝うのに任せ、留美はそのままじっとしていた。湯気とシャワーの音が風呂場を包み込む中で留美は泣いていた。
 数時間前のこと、久しぶりに会えた彼氏との会話の冒頭、些細なことから口論となり喧嘩になった。互いの長い不在が、先の見えない不安が、二人を変えてしまっていた。余裕がない心は剥き出しの感情で相手を傷つけ、二人はボロボロになるまで言い争い、結局、別れたのである。
 シャワーは留美を優しく温め続けた。身体に纏わりつく嫌なことを少しづつ溶かし去るように。
 湯は留美の硬くなった身体をほぐし、冷え切った心を温めた。ようやく落ち着いた留美はバスチェアーに腰を下ろし、鏡を覗き込んだ。メイクの崩れた酷い自分の顔がそこにはあった。
「これが、今の本当の私かもなぁ」
大量のクレンジングジェルを掌に乗せた留美は、憑き物を落とすかのように力強く洗顔した。
 髪を丁寧に洗い、身体をいつもより念入りに洗った。排水口に吸い込まれてゆく白い泡を留美は見つめた。
「汚れも垢も、涙も、バイバイ」
 湯冷めをしないように部屋着を重ね着込んだ留美は、鏡台の前に座るとドライヤーの電源を入れた。コンディショナーの甘い香りが辺りに漂いながら、軽くなってゆく髪を指先で梳くこの時間が留美は好きだった。
「いつまでも、こうしてたいな」
 すっかり元の自分に戻れたと留美は思った。そうなると、勢いに任せ別れを告げたことが侘しく思えた。
 携帯電話を手に取った留美は文章を考えては打って、そして消した。そんなことを繰り返していると一通のメッセージが飛び込んだ。
「さっきは、ごめん」
 打ちかけの文章を消した留美は、彼氏に電話を掛けた。
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