第12話 わきかぬる

文字数 971文字

 遠い宇宙から届く太古の光。満天の星空を見上げながら西川律子は想像を巡らしていた。
「もうすぐ、あの子が帰って来るんだわ」
 長い孤独な旅路へと六年前に出発した「はやぶさ2」が今夜帰還する。朝から律子はそわそわして何も手が付かなかった。
「そんな興味の湧くものが律子にあるなんて知らなかったな」
 結婚して数年経つが、夫が驚くのも無理はなかった。これまでの人生で、とくに趣味もなく暮らしていた律子が、これ程までに「はやぶさ2」に惹かれたのは、十年前に偶然見たニュースの画像だった。
 初代「はやぶさ」。宇宙という広大な海の長い航海から帰還する直前、故郷を写した一枚の白黒画像は地球を捉えながらも、データ転送が途切れ未完全な終わり方をしたことで人々の哀愁を誘った。そして、カプセル分離後、大気圏で我が身の崩壊と共に最後の輝きを放ちながら燃え尽きる映像に律子は涙を流し、何度も繰り返し観たのだった。これまで科学に無頓着だった律子は宇宙関連のニュースがあると細かく調べてみたが、「はやぶさ」のような親しみを感じることはなかった。
「そう、あの子は、私達人類の子供だった」
 2014年に旅立つ「はやぶさ2」も地球へと帰還するまでがミッションだと知った時、律子の心は震えた。
「大冒険に行くのね。新たな私達の子供が……」
 その日から律子の想いは「はやぶさ2」と共にあった。打ち上げの成功、小惑星への接近、着陸、サンプル回収、そして、地球への帰還、と、数年に及び情報を追う中で、律子の想いは年月を重ねるごとにはちきれそうになっていた。そして、いよいよその日を迎える。ついに帰還である。
 昼過ぎ、カプセル分離成功を知らせるニュースが飛び込むと律子は安堵したが、直ちに次のミッションへと故郷から去って行く「はやぶさ2」のことを想うと胸が痛かった。未明、カウントダウンが中継で始まり、映像に映し出された星空に一閃、尾を引き流れる火球に、初代「はやぶさ」の散り行く姿が重なり、律子は堪えきれず涙した。
 私達の子供は大きくなって帰ってきた。そしてまた、遠い宇宙へと再び旅立つ子供……
 ベランダで夜空は眺めていた律子は、やがて、ゆっくりと昇る朝日を見た。宇宙の広さ深さに比べ、陽炎のように消えゆく律子の生の儚さ。心の旅の果て、見上げた星空に何を想うのだろうか、と律子は考えていた。
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