第6話 あくがれし

文字数 890文字

 秋の放課後の静かな校舎の片隅。高校の文化祭も中止が決まり、写真部の部室には野坂明久の他に誰もいなかった。窓の外の銀杏の大木は沈みゆく陽の光を浴び、一年に一度その蓄えた生命を発散するかのように輝いている。何もかもが中止や延期に追い込まれ有り余る感情の発露を失っている明久の高校二年の生活とは、まるで正反対だった。
「何してるの? 野坂君ひとり?」
 突然ドアを開けて部室に入ってきた人物を明久はわざわざ見なくとも声で分かった。
「先輩こそ、部室に今さら用なんて何もないでしょう」と、言って、明久はようやく振り返った。
「それがね、私うっかり自分の三脚を置きっぱなしだったって気付いてさ」
 椅子から立ち上がった明久は、高い棚の上から彼女の三脚を下ろすと手渡した。
「誰かが間違って持っていかないように別にしておいたんです」
 帰り支度をして外に出た二人は、銀杏の大木の前で立ち止まった。暮れる前の柔らかな光が辺りを包み、白い月が銀杏の彼方にあった。
「先輩、三脚お借りしてもいいですか……」
 カメラを鞄から取り出した明久は三脚の上にセットし、銀杏から離れて三脚を置くと液晶を覗きながら構図を整え、彼女へ銀杏の前に立つよう施した。
「ちょっと、私も入るの? 撮られるの慣れてないんだけどな……」
 少し恥ずかしそうに肩をすくめ銀杏の前で斜めに立つ彼女へ、明久はマスクを取るように言った。淡いピンク色をした彼女の薄い唇が露わになると、明久はシャッターを幾度も押した。
「ねえ、もういいかな? 十分に撮れたんじゃない?」
 移ろいゆく光の中でいたずらに吹き込む風は、彼女の上へと銀杏の葉を散らし続けた。
後日、明久が彼女へ手渡した封筒には「雪月花」と草書で書かれていた。中から一枚の引き伸ばした写真を取り出すと彼女は「綺麗ね」と、静かに言った。
「銀杏の葉はフォトショップで真白にしちゃいましたけど……」
 画面の中央に配された銀杏の大木も降り積もった落ち葉も雪のように白く加工され、その左上方の夜空には仄白い月があった。
「雪と月…… 花はどこかしら?」
 明久は彼女に背を向けると、
「花は、憧れなんです」と、呟いた。
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