第44話 なぐさめは

文字数 978文字

 昨夜観た秋月の白さに寺内沙紀は、幼い記憶にあった月下美人を思い出した。分厚いアルバムを押し入れから引き出すと、その写真はあった。霞んだ記憶のように少し色褪せた写真から沙紀は思い出す、部屋の中央で白い大輪の花がいくつも開き、鉢植えから高く伸びた茎の前で、その白い花を見上げている風呂上りの髪も乾かぬパジャマ姿の幼女と祖母の後ろ姿。一葉の写真に納まる花の咲いた夜。
 約三十年余り、沙紀は月下美人のことなど忘れていた。花に縁のない暮らしや多忙な日々は、毎日のことを考えるだけで精一杯だった。それが今年に入り、仕事のない日々が続く中で、これまですっかりと忘れていた昔を思い出すことが多くなっていった。それは、故郷であり、今はなき実家であり、幼い頃の自分だった。
 月下美人が咲いた夜のことを沙紀はほとんど忘れていたが、園芸好きだった祖母の喜ぶ顔はそれとなく蘇ってきた。アルバムを捲ると懐かしい写真が次々と現れ、そこに写る若い両親の年齢とさほど変わらない今の自分には違和感を覚える。
「どこか、他人の家みたい……」
 アルバムを閉じた沙紀は、なぜそう思うのか考えてみても分からなかった。
 家に居る時間が長くなると身体が鈍るので、沙紀は天気の良い日ぐらいは散歩に出かけることにした。今は何とか貯金を切り崩し生活しているが、先の見えない日々。それでも以前よりかは身近なことを考える余裕が生まれていた。
「花なんて気にもしなかったな」
 通りに咲く見知らぬ花の存在に気付いた沙紀は携帯電話で写真を撮ると、自身のインスタグラムにアップした。最近の変化のない生活に更新も止まっていたが、この写真には、たちまちたくさんの「いいね」が付いた。
 面白くなった沙紀は知らない道を歩いては花を探し、見つけると写真を撮ってアップした。そのたびに「いいね」は増えてゆき、結局、その日の散歩で沙紀は十枚以上の画像をアップした。
「花か…… 今、必要なのかもな」
 隣駅まで歩いていた沙紀は、小さな雑貨屋のショーウィンドウ越しに見えた白いフォトフレームが気になった。
「この散歩は、そういうことかな」
 家に帰った沙紀は、買った白いフォトフレームにアルバムから取り出したあの写真を入れてみた。しばらく置いて眺めていた沙紀は、甘く気品のある香りに満たされた夜と、カメラの向こう側で笑っていた両親の顔を思い出した。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み