第48話 霜まよふ

文字数 997文字

 街にあれほどたくさんいた人々はどこへ行ってしまったのか。
「ほとんどの人は俺のこと知らないまま……」
 大きなリュックを背負った江口亮太は人影のない街を眺め回し立ち止まる。すぐそこに駅はあったが、亮太の足は名残惜しさに駅から離れて行った。
 街の空気には午前の風が運んだ土っぽさが含まれていた。ほとんどの店のシャッターは閉まったまま、昼前だというのに街は閑散としている。陽気な春の光が無常な風景を助長していた。池のほとりを歩く亮太の他は鳩しかいなかった。
 亮太がこの都市へやって来たのは、秋へと移り変わろうとしていた半年前のことだった。北国の高校を卒業し、アルバイトで貯めたお金で移り住んだ都会の片隅。早速、派遣のアルバイトを始めたが、訛りを小馬鹿にされて以来亮太は話し掛けることが億劫になり塞ぎ込んでしまった。
 次第に仕事へも行かなくなった亮太は、そのまま年を越した。
「元気にやっとる、心配いらん」
 年始の親の電話に亮太は嘘をつくしかなかった。
 この街に友達は一人もできず、時間を持て余した亮太はいつも独りで街をブラついた。テレビで観た世界の住人になった浮かれた気分も始めだけで、ここにいるだけでは当然ながら満足を得ることはできなかった。それでも、どこかで郷里の人間に対して感じる優越感が亮太を特別な気分にさせていた。眼の前のものを恐れ、眼の届かないものに強がった。
 日を追うごとに亮太の気分が落ちてゆくように、世界も崩落の始まりがすぐそこにまで迫ってきた。
「俺を馬鹿にしたバチが当たったんだ」
 亮太は世界を道連れにした気になって自分に言い聞かせたが、それで亮太が幸せになることもなく、社会的には一番初めに影響を被る立場にいることすら気付けてはいなかった。
 風呂無し四畳半の古くて狭いアパートにも始めは、亮太がずっと抱いて来た溢れんばかりの夢が詰まっていた。おしゃれな家具や服を想像し、友達や彼女ができたら引っ越そうと思っていた部屋。不動産屋に見送られ、空っぽの部屋を後にした亮太は駅までやって来たのだった。
「もう、そろそろ乗らんと……」
 駅舎へ入る前に亮太は、もう一度街を見ておこうと振り返ったが、ずっと思い描いてきた理想の街を見ることは叶わなかった。そして、悔し涙と共に湧き上がってきたのは、消雪パイプの錆で赤く染まった地元の道のイメージだった。振り返るには、亮太の人生はあまりに短かすぎた。
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