第50話 うちなびく

文字数 989文字

「もうかなり危ないところまで差し掛かってます。社長、どうしましょう」
「ああ、うん…… 少し時間をくれないか」
 西岡俊彦の経営する小さな会社は、春に始まった取引の急激な減退により、この夏の売り上げは下がる一方だった。足掻くにも、先の見通しが立つはずもなく、俊彦に今打てる手はなかった。口には出さなかったが、返す当てのない融資を受けるよりもいっそうのこと、このまま会社を畳もうかと考えていた。どちらにせよ、決断の時期は刻一刻と迫り、周囲の人々からは、ゆっくりと考えている余裕はないように思われた。
 その限られた時間をどう過ごそうが、二つに一つの答えを期日までに出すだけであれば悩んでいても仕方ない、と俊彦は会社へ向かう車でそのままどこかへ出掛けることにした。
 道を走る車は少なかった。いつも無音で走る俊彦には、これぐらいの空いた道路がちょうどよかった。静かにのんびりとマイペースに邪魔されず……
「現実は静かになった、が、人が急き立てる、あの不安の影響がうるさいんだよな……」
 信号待ちで、適当に曲がろうかと点けていたウインカーの音すら嫌になり、俊彦は真っ直ぐ進むことにした。
 山が近づき、辺りに樹木を見ることが増えてきた。家を出た頃は少し涼しかったが、温度は徐々に上がり始めている。俊彦が車の窓を開けると、生温い風の中に草木の香りを感じた。助手席も後部座席も全ての窓を開け放つと、俊彦は山の方へと伸びる道をどんどん進んだ。
 地面の勾配は俊彦を導くように車は坂を登り始めた。山の中にすれ違う車もなく、俊彦は久しぶりに会社のことも忘れ、ただ自然の恵みに浸っていた。
「ああ、どこまでも、このまま、ただ走っていられたらな……」
 遠く静かな所へ来た喜びも束の間、後ろから迫り来るバイク集団のけたたましいマフラーの音が俊彦の幻想を掻き消した。
「なんて最悪なんだ…… 下品な音に吐き気がする」
 待避所を見つけた俊彦はすぐさま車を入れると、バイクの集団を先に行かせやり過ごした。
 俊彦はしばらくここにで休もうと車を降りると、自然に似つかわしくないゴミの派手な色が眼に付いた。木々の生い茂る方へと行くと、不法投棄のゴミの山が夏草に埋もれ、その合間から白い顔を悲し気に傾かせたようなヤマユリが見えた。そのけなげなヤマユリの姿に俊彦の心は決まった。
「ゴミみたいな世界で、もう少しやってみろってことか……」
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