第4話 かすみ立つ

文字数 967文字

 最後のレコードが終わると、歓声とまばらな拍手が起こった。
 ここのクラブのDJブースは高い位置に備え付けられ、そこからフロアを見下ろすのが秋本良太の楽しみだった。しかし、人は数少ない関係者とクラブのスタッフ以外に誰もいなかった。
「お疲れっす。配信の視聴者数MAXで1000人超えたみたいで、成功じゃないすっか」
 後輩のラッパーが駆け寄り声を掛けるのを良太はレコードをスリーブにしまいながら聞いていたが、どこか上の空だった。誰もいないフロアに向かってお気に入りのレコードを繋いでみても、誰の為のプレイなのかも実感が湧かなかった。片付けのために煌々と照明の灯された店内も、いつもであれば客の残したカップや踏みつけられたフライヤーの屑で散乱している床も、来た時と何も変わらない光景が広がり、益々何もなかったように味気なく感じられた。
 これまで良太は細々とながらDJと知り合いに頼まれたトラック制作で生活もできていたが、緊急事態宣言以降の予定は全てキャンセルとなり、最近は自室にこもりっきりで何も手が付かず、好きな音楽も聴かず、ただぼんやりと過ごしていた。そんな最中、レギュラーで出演していたクラブの誘いで受けた今日の配信ライブも、始まりこそ久々の大音量に気分も高揚したが、結局終わってみると日々の虚無が変わらず押し寄せるだけで、何かを解決してくれるようなことはなかった。
「お前、なんで音楽やってんの?」と、良太は、ここ最近ずっと考えていることを何気なく後輩に尋ねてみた。
「先輩、深い、ディープっす! マジで自分にはラップしかないんで、他、考えられないっす」
「お前さ、ラップしかないんだったら、せめて下手でもいいからラップでアンサーしろよな」
「やっぱ先輩、マジでドープだわ!」
 こんなくだらない会話も久々だった良太は、この後輩の無鉄砲な実直さに少し救われたような気がした。
 白み始めた空には霧が立っていた。道を行くタクシーのヘッドライトは乱反射し、いくつものぼやけた街灯が霧の先に消えてゆくように並んでいた。
「幻想的でマジでキレイっすけど、水ん中いるみたいに湿ってますね」
 天との境はなく、まるで宇宙に放り出された、そんな気持ちだった良太は、
「お前さ、ラッパーだったら天の川ぐらいに例えてラップしろよな」と、言いながら後輩と久しぶりに笑った。
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