第13話 末とほき

文字数 987文字

 雲雀の鳴き声を聴いた宮内英治は辺りを見回した。初冬の都会にいるはずのない鳥は、英治に纏わりつくように鳴いて、どこまでも続く芝生がさざ波のように揺れている。
 都心の往来の真ん中にあるはずもない光景を英治だけが見ていた。それはどこかで見た景色なのか、それとも観たことのある映画の一シーンなのか、幼い頃の幻影なのだろうか。雲雀は春を詠い、そよ風に草は揺れている。
 英治が見ているのだろうか、誰かの見たものなのか、そこに立つ者すら、それも分からない。のどかなのか、うららかなのか、唯一の音、姿の見えない雲雀の声だけが繰り返し繰り返し耳に届く。温かそうな芝に触れてみたいが、手を伸ばそうとしても、手がそこにあるのかも不確かだった。
 そこに青空もあった。あれはまさしく春に知る、厳しい冬の果てに訪れた萌芽の青。澱みなく澄んだ雲一つない空、あれほど見事な春の空を見たことはあっただろうか。子供が描く絵のように色は混じることなく、ただ一色そこに置かれていた。
 匂いは、香りは、風がそこにあり、なびく細い葉先、気ままにあちらこちらでその身を揺らすが、草が春を醸し出すようなあの芳ばしい香りを感じることはなかった。音は聴こえるが香はなく、見えるもの全てに実感などあるはずもない。
 瞬きの瞬間に世界は夕焼けに包まれていた。
 夕陽を受けた緑の芝は、葉の表や裏を白銀に映しながら、変わらず風に身を任せ、細かい輝きはどこまでもどこまでも続く。
 そこに感情はあっただろうか。
 英治は得るものばかりに気を取られ、自らを知ろうとしなかったことにようやく気が付いた。では、英治が、空に、草に、風に、何を思ったのだろうか。もうすでに、あの白昼の春を讃えた光景はない。ただ暮れてゆく、悲しみのしじまの中に漂うだけだった。
 雲雀の讃歌に導かれ、草の果てに沈む夕日を眺めていた英治は、またいつかこの光景に出会う日が来るのだろうと思った。最後の春のこの情景を。
 埃まみれの作業員が、テナントの解体作業をしていた。店の前に横付されたダンプカーに役目を終えた廃材が無残な姿を晒し積まれていた。かつてそこにあったレストランの賑わいや喜び、人々の幸せ、あの光景は、そんな一時を英治に見せたのだろうか。
 建物の奥から金属をはつるけたたましい騒音が街に響き渡った。雲雀の鳴き声には決して似つかない、それは憐みの声に英治は聴こえた。
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