第94話 風の上に

文字数 1,048文字

 気象天体観測を趣味としている横江聡は、天気図や気象衛星画像をPCの画面に並べて観察している。一日が終わる前、明日以降の空の動きを予測するのは聡の日課だった。
「この流れだと、雪、もしくはアラレかもしれないな……」
 天井にまで届く部屋の高い本棚には記録を取り始めてから過去数年に渡る独自の資料が年ごとに整頓し並べられ、天気や天体に関する分厚い専門書が部門分けされ几帳面に並んでいる。研究室さながらの部屋には生活感がなく、本当にここで人が暮らしているのかと疑うほど、他に物はなく質素だった。興味のないことに聡は全く金を掛けず、手を出さなかった。
 昼間、仕事で人と接することはあるが、仕事帰りや休日に人と会うことはほとんどなく、人よりも空のことばかりを考えて聡は暮らしている。天気予報のように人の気持ちや心、行動などを先読みできれば上手く人と付き合うこともできるのにと考えたこともあったが、無理なことには踏み込まず、接触をできる限り避け、天災のように人を捉え、いつしか避けるようになっていた。天気の読みに自信を持っていた聡は、おそらく他人に対してのこの自分の判断もあながち間違ってはいないと信じていた。
 少ないながら聡にも趣味の集まりで出会った人達はいた。年に一度だけ全国から集まり、独自の研究や調査を発表しあった。会の最中も、その後の懇親会でも話題は天気や天体ばかりで、言葉を交わす人となりを知ることはなかった。好きなことだけを話せることが、何よりも幸せだと聡は思っていた。
 ある程度の予測は立てていたが、今年の会合の中止を知らせる葉書が聡へ届いた。仕方ないことだと理解はしつつも、当てても嬉しくもない予測が聡をより虚しくさせた。来年、再来年と、いずれは会もなくなり、もう誰とも会うこともなく、独りで見上げる残りの人生の空や宇宙の大きさを想像すると聡は急に耐えられるのだろうかと恐怖を感じた。
「珍しいアラレの予報に、ご当地の横江さんはいかがお過ごしかとご連絡しました。集まりも開催できない昨今ですが、またお会いできる日を待ち望みつつ……」
 それは聡にとって久しく届いた連絡だった。少なくとも、たった一人ではあったが自分のことを思い出した人がいたことに聡は驚き、そしてかしこまった。
「気象変化の隅に私などのことを添えていただき……」
 人のあらゆる生活の上に気まぐれな風は吹いている。その先に煌めく星々の小さな発光、屋根を打つ天から零れ落ちた星の音は風に乗って、聴く人へ今年の冬も変わらぬ便りをもたらす。
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