第15話 氷ゐる

文字数 1,001文字

 冬を呼び込み凍てついた心は粉々に砕けたまま、波打ち際を漂っている。寄せては返す潮流は、若者特有の戸惑いによく似ていた。
 去年の冬のこと。高校三年生で早々に車の免許を取った仲間に誘われた染谷直哉は、仲の良い男友達だけで冬休みに車で遠出をすることになった。初めてのドライブに目的などなく、自分たちの知らない遠くへ行けさえすれば行き先はどこでもよかった。
 陽が暮れた頃、親の車に若葉マークを付けた仲間達が直哉を迎えに来た。すでに車内にはいつもの顔があり彼が最後だった。空いている後部座席に乗り込んだ彼を仲間はお決まりの冗談を交えながら歓迎した。
 年頃の若者がするような馬鹿な話で盛り上がりながら一行は、アメリカ大陸の開拓者のようにとにかく西を目指した。名前ぐらいしか知らない街を走り抜け、二度と来ないかもしれない街角のコンビニで飲み物とスナック菓子を買い込み、ヘッドライトが照らす彼らの道の先には赤いテールランプが希望の光のように連なっていた。しかし、皆と同じようにはしゃぎながらも直哉だけは走行距離と比例しながら終わりへと近づく始まったばかりのこの旅と、残り少なくなった高校生活を淋しく感じ感傷的になっていた。卒業後、それぞれの道へと旅立つ前の最後のドライブ、もう会えないかもしれない仲間、直哉はその中の一人に恋をしていた。
 ひた隠すこの恋心を直哉は幾重にも錠を掛けた心の奥底へ閉まっていた。しかし、狭い座席の隣に座っていた彼との距離や何気ない会話は鍵となって、一つ一つ直哉の心の錠を開いてゆく。もう弾け飛びそうなほどに膨らんだ最後の錠を残し、車はまだ夜明け前の誰もいない真っ黒な海へと辿り着いた。
 こんなに深い闇を直哉は初めて見た。空に星一つなく、ただその姿の見えない波の音と風だけが不気味に迫り来る。闇と自分との境界線も分からない。一歩ずつ確かめるように踏み込んだ足が砂に沈む。一歩、また一歩と差し出した足が湿って硬くなった砂を捉えたその時、誰かの手が直哉の肩を掴み、そして抱き付いてきた。
「うわっ、誰だ」
「あっ、直哉見つけた」
 押し寄せた波が彼らの靴を濡らし、慌てて離れていった彼の手の余韻だけが直哉の肩に残された。
 あの日、陽が昇り始めた浜に打ち上げられた海松は凍っていた。そのいやらしい手のような海藻の姿を憎んだ直哉は海松を粉々になるまで踏み続けた。
 そして、今年もまた冬は訪れようとしていた。
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