2004年7月26日 「The 24 aspects」の予定進行表 [ 2 ]

文字数 2,781文字

 坂が多いこの街では、自転車は天国と地獄を味わう乗り物でもある。今みたいに坂を上がっている最中は時間が掛かるしクソみたいで役にも立たないが、高台から猛スピードで眼下のベイエリアへ下るスリルはやった奴にしかこの良さは分からない。何も自転車だけがその楽しみを享受している訳ではなく、今まさにてっぺんへ辿り着いたあの三人組も似たような種族だ。
「ヘイ、キッズ、今からそのスケートボードで下るのか?」
「俺らをキッズとか呼ぶなよメッセンジャー!」
「こう見えても俺らは大人だぜ!」
「まあそこら辺のキッズごときでは、この坂を下る度胸はないね」
「分かった、分かった、で、下るなら、ちょっと待っててくれないか?」
「なんで? 俺らがあんたを待たなきゃいけないのさ」
「クソだな」
「理由は?」
「撮影したいんだ。お前らが『クールに』滑り下りる姿を、このカメラでな」
 俺はいつでもすぐ撮影出来るようにバッグの中へビデオカメラを忍ばせている。チャンスは、こちらの都合で待ってくれることはないからいつもそうしているのだが、このガキ共を待たせることは可能だ。
「すぐそこへ書類の配達があるから、それが済むまで待っててくれないか?」
「ビデオだってよ、おい、どうする?」
「あんた有名なアーティストか何か?」
「バカかお前、有名な奴がメッセンジャーなんかしてるはずないだろ!」
「これから有名になるところで、それは明日かもしれないし、そうなったら、すぐにでもこんなクソみたいな仕事辞めてやるよ。で、お前ら撮られるの? ダメなの?」
「おい、どうするよ」
「俺はイイけど、クールに撮ってくれたら」
「そうだな…… 報酬は? タダって訳じゃないだろ?」
「おいおい、しっかりしてんな。じゃあ、コーク奢ってやるよ」
「おい、どうする?」
「まあ、俺はイイけど」
「ふざけんな、コークだって? 俺達ビールしか飲まねえよ!」
「分かった、ビールを奢るから、それでどうだ?」
「おい、やるか?」
「まあ、俺らじゃビール買えないし、イイんじゃない」
「おい! バカかお前! 自分で『俺達キッズです』って言ってんじゃねえよ!」
 決まりだ。俺はガキ共を待たせておいて、急いで配達を済ませに行った。遅いとか何とか客から愚痴を言われたが、そんなことどうでも良かった。どうやって撮るか、その構図のことで頭の中は目まぐるしく動いていた。


「ようし、お前らのお手並み拝見といこうか。くれぐれもしくじるなよ。クールに決めてくれ」
「むしろあんたの方がミスるなよ。完璧に撮ってくれよな!」
 まずは三人の正面からのショットを坂の少し下った所から見上げるように撮る。ちょっとカッコつけ過ぎだが、まあイイとしよう。使うかどうかはマイクが決めればイイ。次に、
テクニックを少し披露してもらい、足下をアップにしていくつか収める。小指の辺りが破れかけた靴、擦れたデッキのデザイン、同じものは無く、それぞれにドラマがある。どんな人生を送っているかは、金持ちも貧乏も出自も人種も関係無い。面白いか、つまらないか、その二択だ。
「おい、お前ら。一発で最高のダウンヒルを決めろよ!」
「見くびんな!」
 録画開始。自転車にまたがり、片手にカメラを持って、ガキ共の後ろに陣取る。彼方に広がる俺らのゴールの海が、ここからだと手が届きそうな程、近くに見える。何だってそう、見る分にはいつも近そうで、実際は何でも遠いもんだ。四人共無事にゴールへ辿り着けることを願い、勢いよく滑り出したガキ共から一テンポ間を開けてから、俺はペダルを漕ぎ出した。
 ぐんぐんとスピードは加速し人気のない高台の住宅街を駆け抜ける。住宅ブロックの途切れに現れる横道へ差し掛かる時は突然車が出て来ないように祈るしかない。誰に祈るかは人それぞれだが俺はラッキーっていう名で呼ばれていた元カノを思い描く。「ラッキー! バカ野郎で若すぎたこの俺でも少しぐらいお前の為にしてやったことを今こそ思い出して頼むから俺にお前のご加護を!」って。ビビッてブレーキを掛けたらガキ共に笑われちまうしそんなことしたらあっという間にガキ共は先へ行っちまうから全てがダメになる。むしろペダルを漕いであいつらの真横へ進み出る。度胸比べでガキなんかに負けてられない。戦う相手はお前らじゃないってところを見せてやる。どう映っているかも分からないファインダーをあいつらに向けて構えながら横道をいくつか通過する。通りには俺らを罵倒するおっさんの叫び声が響くがそれもあっという間に過ぎ去り何フレームか前のものとなるが、おっと危ない今は道を渡るんじゃねえよばあさん。海へ近づくにつれ車が多くなりその横をすり抜けながら中指を立てた運転手の画を無事に収める。最悪のケースとして車とクラッシュした映像がカメラに残ってたらマイクがどうにか編集してくれるだろう。ギブスをして病室でそれを見てたらラッキーで俺の葬式で流されたらアンラッキー。それも面白いかもなと思いつつさらにペダルを漕いで最後はガキ共の前へと躍り出る。先頭を突っ走りながらカメラを持つ手は真後ろへ伸ばしてさらに少し自転車を左右に振りながらアクションを加えて走る。もうガキ共が無事かどうかも分からない。ただ俺は海へ向けて落ちてゆく…… 転がるタイヤに身を任せただ落ちてゆくだけだ。


 道が平坦になったところで急ブレーキを掛けると後輪が勢いよくスライドして自転車は停まった。そのままカメラを坂の方へ向けると、ちょうどあいつらも遅れて下りてくるところだった。四人共無事だったぜ、ありがとうなラッキーちゃんよ。
「あんたヤバいな!」
「イカレてるよ」
「ヤるね、イイの撮れた?」
 興奮が冷めない内に俺達は商店へ行き、ガキ共の分も含めて俺はビールを四本買った。嫌な顔をする若い店主にせびって紙袋も四枚付けさせて俺達は紙袋で瓶を包んだ。
「ほら、まだ身体が震えてるぜ」
「実際、みんな何回か危なかったな」
「一番危ない走りをしてたのはメッセンジャーだろ。こっちがハラハラしたよ」
「よし、お前ら乾杯だ! ラッキーと明日に!」
「なんだよ、それ」
「まあ、全員無事だったし」
「明日なんてもんは寝て覚めたらそこにあるもんじゃないの?」
 俺達は乾杯をしたが、紙と紙がぶつかったところで鈍い音しかしなかった。そして、スリルを味わった後の一口目は激ウマ。
 ガキ共がカメラに付いた小さなモニターで映像を興奮しながら観て騒いでいる側で、俺はチビチビとビールを流し込みながら、通りを眺めて独り考え事をしていた。
 こういうバカで単純なことをして、たまたま何事も無かっただけで、誰にでも明日がある訳じゃない。死ななかった奴に明日があるだけだった。ラッキーはこの世にもう居ないし、あいつの幸運を俺が奪っちまったのか、なんて思うこともたまにある。そう、正に今がその時だった。
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