2004年7月22日 [ 5 ]

文字数 2,758文字

 彼が話さないのであればと、私とフレッドはサユリを質問攻めにした。おそらく日本語で話し掛けても彼がすぐに口を開くことはなさそうなので、この場のことも考え言葉は英語で進行してゆく。そして、そこから分かったことは、二人は日本に居る時から付き合い、サユリの留学後しばらくして彼が遊びにやって来て、そのまま二ヶ月近くも居着いているらしい。私の尋ねた住所からは引越し、今はこの近くに住んでいるが、いつも彼は家に居て、最近はそれが原因で喧嘩ばかりとのこと……
「ホウ、そうか、ありがとうサユリ。全てを理解した。ホウ、で、彼は話す気が全く無さそうだが、ミチヨは、どう思う?」
「そうね、別に行く所も無ければ、とくにやることもないんだし、日本に帰ってくれると私は助かるのだけど…… そこは彼から直接聞かなければならないから、フレッド、失礼して日本語で話すわね」
 お酒を一口飲み込み、一度頭の中を整理しながら思考や言語を切り替える。こんなに苦労しながら私は色々としているのに、彼の俯く姿を見ていると少し腹立たしくもあり、飽きれてくる。
「ねえ? 今の会話は聞いていた? 内容は分かる?」
「少し、ぐらいは……」
 俯いたままボソボソと彼は言うだけだった。仕方ないので事の始まりから説明し、彼がどうしたいのかを尋ねた。
「その…… まだ帰りたくない……」
 日本語で話す会話が分かるはずもないのにフレッドは一生懸命に聞いてくれていたので、彼のその短い言い分を訳して伝える。フレッドは何度も頷きながら顎に手を当て少し何かを思案したようで、それから突然ハッと閃いたような顔をして興奮しながら立ち上がった。
「ホウ! よし、サユリは喧嘩がもうたくさん、彼はまだ帰りたくない。ホウ、それなら、俺のホテルに来ればイイ! 幸いにもミチヨの隣の部屋が空いているから、それで解決! ホウ、なんて名案なんだ!」
「ちょっと! フレッド勝手に話を進めないでよ……」
「ホウ、いやいや、もう決まりだミチヨ。ホウ、これ以外、前へ進む為に残されたレールはないだろう、なあ兄弟?」
「――ああ、彼の行き先には光り輝くレールが見えるぞ」
「――旅はまだ続くということか」
 一席ぶって大盛り上がりのフレッドは酒を勢いよく飲み干すと、空のグラスをテーブルに叩き付け、大きな乾いた音が店内に響いた。
「ホウ、部屋は安くしておくから心配無用だ」

 お金に問題がある訳ではなかったけれど、これ以上サユリの家に居候させておくのはよくないので、暫定策としてだが、今宵初めて会った彼の母親としてフレッドの提案に従うことにした。
「ホウ、これがだな…… 住所、名前は…… ホテル・クリサリス、っと」
 白衣のポケットから皺くちゃのカードを取り出したフレッドは、皴を丁寧に伸ばすとサユリへ手渡した。
「ホウ、今日はもう遅いし、準備もあるだろう。ホウ、明日の午後にでも来ればイイ。こちらも部屋を準備しておくから。ホウ、さあさあ、これでお開き、爺さん達は寝る時間だ」
「――最終列車も行ってしまったか」
「――そうだな、我が家へ帰ろう。今宵の旅も実に楽しかった」
 席から立ち上がり帰り支度をしていると、店の奥から本日一番派手で高級そうなスリーピースのスーツを着た大柄な黒人男性が店のカウボーイ達に愛嬌を振りまきながら出てきた。
「あらあら、どこかで見た面かと思えばフレッドちゃんじゃないの、ジョージ爺様までご一緒なのね。こんなところでどうしたのよ?」
 見た目とは裏腹の甲高い声、何となくあのマスターを彷彿とさせる佇まい、フレッドの知り合いのようなのでフレッドの方を窺うと、白衣に包まれた大きな身体を縮み上がらせ、少し怯えた様子でその場から一歩も動けないようだった。
「おう、これは随分と久しぶりだが相変わらず美しい、あなたは。今宵の旅は奇妙な偶然ばかり起こるようだな」
「ジョージ爺様も元気そうね。それはそうと、店の中じゃ他のお客に迷惑が掛かるから、さあ、外へ出るわよ皆さん」
 黙ったまま誰とも一切眼を合そうとしないフレッドを先頭にぞろぞろと店を出てゆく一行。私達を見送るカウボーイ達は熱いキスを投げる。店内に流れていた曲のバンジョーのソロは大忙しで、盛り上がりは頂点に達しようとしていた。

「さあて、外なら思い切り話も出来るわよフレッド。元気にしてた? そんなことより、こんな所出入りするようになっちゃったの? あんたが私達のお仲間だったとわね」
「ホ、ホウ…… エ、エディじゃないか…… ホ、ホ、ホウ、わたしは、げ、げんきです」
「ちょっと、フレッド! あんた何度言えば分かるのよ! ちゃんと『ミス』を付けて、ミス・エディとお呼びなさい!」
 ミスを付けなければならないから男性ではないことを理解したが、異様に怯えるフレッドの理由は一体……
「ホ、ホホウ、す、すまない、ミス…… ホ、ホ、ウ、こ、ここで、働いて、い、いるのか……」
「バカ言わないで! 私のお店よ! 私は実業家よ、サンフランシスコに三店舗も持ってるんだから。それよりあんた、こんなところで何してるのよ?」
 震え上がりながら、私を紹介しつつ事の経緯を説明するフレッドと、実に仲良さそうにそれを聞くミス・エディ。何となくだけど、すでに私はこの人を知っている気がしたが、それはあのマスターにキャラクターが重なるからだろうか。それはさておき、どうやらミス・エディはフレッドをドラァグ・クイーンに昔から仕立て上げたいようで、フレッドはその強硬な手段と計画に怯えている様子だった。確かに、ミス・エディが本気を出せば、一般的には大柄な部類に入るフレッドですら簡単に手懐けることは可能であろう程に、彼女は屈強でさらに大きかった。
「まあ、今晩はお連れも一緒だから許してあげるわよ! そういうことで皆さん! 私、皆様向け、つまりノーマルなレストランも経営しているので、よかったこちらへも遊びに来てよね! はい、これがお店のカードよ!」
 手渡されたカード受け取ると、ようやく私はミス・エディを知っている理由が分かった。そのカードのデザインが、私が泊まっているあのクリサリスの部屋のクレイジーな内装のセンスと全く一緒だった。つまり、元々の住人というのが、このミス・エディということで間違いなさそうだった。
 フレッドとミス・エディ、さらにジョージさんまで加わった三人の会話は尽きることがなく、どうもすぐには終わりそうもない雰囲気だったので、若い日本人二人は先に帰るよう施した。明日、ちゃんと来るようにと言葉を掛けたけれど彼の返答は無く、用は済んだとばかりに無言で立ち去る。失礼しますと言い残し慌てて彼を追い掛けるサユリの後ろ姿。オレンジ色に染まる世界で、私は二人の後ろ姿を見えなくなるまで眺めていた。
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