1994年7月21日 [ 2 ]

文字数 4,133文字

‐black mare

draw a line between the stars
then make the geometric sky
reading for the terrestrial scores
rolling a sound of someone

you don't know where you go to
so you are changing by the new

landscapes on the lunar mare
silence, silense
landscapes on the lunar mare
silence, silense


before the range of rest
then far from the past
remember blinking the billow
and now, drifting in the afterglow

you said that made the black mare
a sheen coat of black hair

graveyard of the black mare
silence, silense
graveyard of the black mare
silence, silense


星と星の間に線を引く
天に幾何学模様を描く
地球をかたどった譜面上の解釈
あなたの音を転がす

あなたは行き先を知らず
だから新しさによって変化する

月面海の光景
死と静けさを


休止符の範囲の出現以前
過去からは遠い
明滅する大海を思い出す
そして今 余韻の中に漂う

あなたは言った 黒い牝馬を作ったと
光沢のある黒い毛並

黒い牝馬の墓場
死と静けさを


 私は読み終えた譜面をポーチのテーブルの上に置くと、煙草へ火を点けた。動揺もしくは興奮か、胸の鼓動が治まらず、これをどう表現すればよいのか今は分からない。ただ直感として、二つの詩は、すでに私の中に宿り始めている気もした。
「ほんま、見事に二曲とも英語やな。ほんで、曲の展開は…… まあ、複雑ではないか」
 譜面を手に持ったままオサムさんは、真剣な顔で何やら考えているようだった。言葉の途切れたポーチにも昼下がりの夏の時間はしっかりと刻まれ、ここに居ないピアノ存在がむしろ強烈に浮かび上がる。詩が持つ言葉の力なのだろうか、ピアノの想いの大きさなのだろうか、読後の詩の余韻が響き渡る中で、はっきりと終わりへと向かう道筋は示されていた。

 譜面を基に簡易的な曲を録音する為、オサムさんは「black mare」の譜面を手に二階の音楽部屋へと向かった。ポーチで独り「driftwood」の譜面を眺めていた私もピアノ部屋へと向かうと、自分で演奏をしながら歌ってみることにした。調律とは関係なくピアノを演奏することが随分と久しぶりで、譜面に記されていた音符をぎこちなく追いながら、歌のメロディを実際に口ずさんでみた。
 初めはすっかりと忘れていた自分の歌声と無理をした歌い出しに絶望しつつ、誰も聴いていなくて良かったと心底思い知らされる。喉の調子を整え、何度か繰り返している内に、歌詞の意味は断片的な映像を伴いイメージとして繋がってゆく。次第に私は、歌おうとしていることに違和感があることに気付かされた。
 一度進もうとしていた方向をフラットにしようと、椅子の上で仰け反りながら白色の天井を何気なしに眺めていると、ここへ来てからの数日の色んなことが押し寄せてきた。
 始まりはエッサウィラのピアノの演奏、嵐の高速道路を駆け抜け、深い眠り、海の深さ、真珠、ビン玉、灯台、夕焼け、流木、将来のこと、白百合、ガラス片、胡桃、そして、黒い雌馬…… 何も接点がないように思えるけれど、全ては私の記憶の中で漂いながら移ろう。悟りなんて大袈裟なことは思わないが、こういうこともいつか分かる日が来るのかもしれない。そう考えながら私は、また詩を読み始めた。この言葉は、どこへ行こうとしているのか、どこまで行こうとしているのか、どう行こうとしているのか…… 私は呟くように、何度も何度も、言葉が身体に馴染むまで、言葉の意味が無くなるまで、言葉を言葉としてではなく、私の記憶と同じように、大海へと解き放ち、漂う一つの存在となり得るまで、声に出し続けた。それは、調律の音が、定まらなかった音の揺れが、あるべき姿の一点へ目掛け生まれ変わろうとする行動に似ていた。時を経た巨大なうねりは、今この瞬間に一つになろうとしている。そして私は、ある一つの考えに辿り着く。


 お稽古の帰り道、自転車に乗るのも止めて歩き出す。湿気を含んだこの蒸し暑さ、バカなことやと知りながら、この距離、今ワタシが居るこの時間上の不可解な場所を改めて確かめたくて。ワタシの一歩が何かへ近づくんやけど、同時に何かから遠ざかる。大した歩幅やないし、乗りもせえへん自転車って邪魔な荷物も抱えて。
 澱んだ思考は、夏の暑ささながら、揺らめく陽炎にも思えて、掴めそうにもなく、形は定まらへんし、結局のところ、その意味さえも疑うぐらい儚く危うい。でも、ワタシが求めるものは、そんなもんばっかりで、あと何歩進めば現れるかも分からへんし、永遠にこのままなんかもしれへん。停滞しているようで、時間だけはどっか行こうとしてて、ワタシが進む方向が正しいなんてことも確かめようがない、少なくとも今は。
 怪しげな雲が陽射しを遮り、重くるしい大気の中を歩く。眼を閉じて辺りを見回すと、いくつもの深み、穴が大きな口を開いてワタシが飛び込むのを待ってる。どこまでも落下するんか、膝丈ぐらいしかないんか、そもそも、穴に見える何か別のもんなんか。そんなんを見ながら歩く道。真っ直ぐ行きたいのに、誰かの引いた道はカーブしてて、合流もすれば、曲がるし、離れて、初めに歩こうって決めた道も、もう、どれやったか分からへんようになって、それでも、その時に選んだ道の上で、ワタシは足を一歩前に出す。そしたら、また次の一歩、連続しながら、音楽なんかと同じで、速めたり、走ったり、止めたり、休めたり、何かしてる。これまでずっと、オサムが横で一緒に歩いてくれてたんやった。多分、どっちか歩けへんようになるまで、一緒に歩くんやろな。
 眼を開けても何も変わらへん、重苦しい夏の路上。家に帰ろうとしてるワタシは、実際、どっかへ行こうとしてる途中で、ああ、ここやったんや来たかったのは、って、分かったら、眼が覚めて、夢も覚めて、音が消えてく中で、思い出すたくさんのことの一つが今年の夏のことなんかもしれん……


「black mareの録音用音源作ってテープに入れたから、これで練習したらエエで」
 ピアノ部屋へ譜面とカセットテープ、さらにマイクとマイクスタンドを持って現れたオサムさんは、ターンテーブルの下のデッキへカセットをセットし、マイクを繋げると、DJ用のヘッドフォンを私に手渡し、操作方法を教えてくれた。そして、次の音源を作る為に「driftwood」の譜面を携え、颯爽と部屋から出ていった。短時間の内に仮の音源を作成し、練習用とはいえ、しっかりとした環境まで準備してくれる心遣いは嬉しかったし、何より、この手際の良さにすっかり感心してしまった。もちろん、そもそも機材がなければこんなことは不可能なわけで、それを日頃から使いこなしているからこその早業。ピアノがいくら文句を言ってもオサムさんを信頼している理由はこういうことなんだろう。
 早速、カセットを再生した私は曲の音量を調節しながらヘッドフォンから聴こえる暗い音源に包まれる。譜面を片手に改めて眼で追う言葉の奥を漂う私は、ぽつりと声を吐き出す。歌うことは考えず、意味を時間へとそっと置くように、呟きながら、小さく、息が続く限り長く、私が想像する一番遠くへと届ける為に…… いつの日か、それらは長い時間の果てに舞い戻り、本当に必要とされる瞬間に聴こえることだろう。


 やっと家に着いたら、さらに雲がどんよりしてて、結局、日中の一番蒸し暑い時間に歩いてたワタシはアホやった。家に近付くにつれて聴こえてきた音でオサムが作業していることは分かったけど、ミチヨは何してるんやろ。自転車片付けて、麦わら帽子を投げ捨てて、ポーチの椅子に座ると、もうお尻から根が張ったようにしばらく動けそうになかった。蒸し暑ささえも気にならんぐらいの疲れにまどろんで、音楽がどんどん遠くに逃げてくなんて考えてたら、睡魔に手を引かれて落ちてく。


 オサムさんの仕事はまたもや早くて、ワタシがマイペースに練習している内に、もう一本のテープを仕上げてきた。とりあえず、キリもよいタイミングなので休憩することにし、珈琲を淹れてからポーチへ行くと、両手をだらしなく垂らし、椅子の背もたれに頭を預けたまま、半眼で口をぽっかり開けているピアノが居た。
「あれって…… 生きてる…… よな?」
「おそらく…… 寝てる?」
「じゃあ…… ほっとく?」
「でも…… 寝るなら…… 布団の方が……」
 ピアノに近付いたオサムさんが肩を軽く叩くと、一瞬電気が走ったように身震いしながら急にピアノは立ち上がった。
「――はぁ、はぁ、むっちゃ悪夢見てた……」
「何言ってんねん、こっちは白昼の悪夢やで。半眼で口開けて、ゾンビみたいになってたし」

 それぞれの数時間を過ごし、ポーチに居る私達は、何気なしに今後の予定を話し合っていた。オサムさんとピアノは引き続き曲の構成を考えるようで、私は録音する前にまだ練習というか、どう表現するべきなのかを突き詰めてみたかった。
「――で、お願いがあるのだけど、オサムさんの作ってくれた練習用のテープにピアノの音も入れて欲しいんだ」
 オサムさんの作ってくれた簡易のトラックは、ドラムとベース、そしてガイド的にギターの和音が入っているだけで、最終的に入るはずのピアノの音が無かったので、どうしてもイメージを作り上げるにはパーツが足りなかった。詩を書いたピアノが、詩に寄り添う音色をピアノでどのように鳴らすのか、それこそが私の一番知りたいことだった。
「――分かった。オサム、下のグランドにケーブル回して。すぐ、録るわ」
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