1994年7月14日 [ 3 ]

文字数 3,701文字

 ピアノ、いやオサムさんの家までの帰り道、大きな道から一本脇に入った住宅街の中にその店はあった。プレハブ小屋の外観に「リサイクルショップ ばい屋」と手書きの看板が掲げられ、入口の横には、大きな将棋の駒がぶら下がっている。
「ここやったら、安く服買えるで、何たってバァイ屋やし」
 なぜ急に英語口調、と思ったが、屋号の「ばい」と英語の「buy」を掛けているのだと理解した。それにしても、「ばい屋」って奇妙な名前。
「こんにちはー」
「あら、ピアノちゃん。いらっしゃい!」
 ピアノに続いて店内に入ると、骨董やら家電、雑貨、衣類等が所狭しと積まれ、想像通りのリサイクルショップだった。
「今日は友達の服買いに来たんやけど――」
「――そんな新しくてヤングなの無いから気に入ってもらえるかしら…… ゆっくり見ていってね」
 この辺りではおそらく珍しいであろう標準語を話すおばさんの会釈は、どことなく品の良さがあった。
「ミチヨ、こっち」
 ピアノが手招きする奥の方へと回り込むと、通路の両側二段びっしりと色取り取りの服がハンガーに掛けられていて、ピアノは早速、吟味し始めると思いきや、猛スピードでいくつかのハンガーを拾い上げていく。
「どう? サイズちょうどちゃうかな」
 ピアノが選んだ服は、スポーツチームらしき名前と背番号に「17」とプリントされたものやアメリカの地名が書かれた原色のカラフルなTシャツばかりで、確かに原宿にある輸入物の古着屋で売っていそうなセンスのカワイイデザインばかりだった。
「これ前に見てかわいいなと思ったけど、ワタシが着る感じじゃないし、ミチヨやったらイイんちゃうかな、なんたって安いし、ほら」
 受け取った服の値札は確かにどれも数百円程度で、東京で買えばもっとしそうな気がする。
「あとは…… あった、これ」
 両手が塞がっているところへさらに渡された一着のジーンズは、サイズ感もよく、少し古びた雰囲気もカッコよかった。値段も1,900円と有難い。
「それ、むっちゃ高いリーバイスらしいで。オサムそんなん詳しくて、サイズが合えば買ったのに、って悔しがってたから」
 古着に詳しくない私も「そうなんだ」と思うぐらいだったが、とにかく、十分な量の納得のいく服を手にした私は嬉しかったけれど、気掛かりがまだ残されていた。
「ミチヨ、お金やろ? 大丈夫、それぐらい全部買える分は今あるし、っていうか、まだ高速代返してへんかった、忘れてたゴメン!」
 レジに向かう途中、段ボールに「特売品」と書かれた白い靴下の山の前で私は立ち止まった。
「ミチヨの靴、革やし熱くない? ビーサン安いのあるし、買ったら?」
 もちろん夏だし、こんな海も近い場所ならビーチサンダルを履きたい気持ちは山々だった。だけど、両足が忙しいマニュアル車を運転するにはちょっと都合が悪く、とくにパンダのペダル間が狭い構造だとサンダルが引っ掛かりそうで怖かった。「まあ、そんなことで、お金ももったいないから、これで大丈夫」とピアノに説明すると、何か考え込んでからこちらを見て、怪しくニヤニヤしていた。

 Tシャツ三枚と靴下三足、それとジーンズ一本で3,400円、おばさんは消費税をおまけしてくれた。
 ピアノがお会計している間、私はレジ横のショウケースに入った宝石類を何となく眺めていた。真珠のネックレスやイヤリングがやけに多い。
「そこに、小さい三角錐の貝殻入ってるやろミチヨ? それが、このお店の名前の由来やでー」
 宝石類の脇に置かれた小さい貝なんて、ピアノに言われるまで正直ディスプレイぐらいにしか思っていなくて気にも留めていなかったが、改めて見ても何のことだが分からない。
「これね、はいっ、どうぞ」
 気を利かしたおばさんが取り出し手渡してくれた巻き貝は、お菓子のアポロをちょっと大きくしたような形をしていて、穴には何か硬質なものが流し込まれ塞がれている。そして、想像していたよりも少し重かった。
「ばい、って貝やねん。昔、それをコマにして遊んでたんで、コマをばいって言うみたい。詳しくは、どうぞ!」
「あら、やだ、そんな大した話しじゃないのよ。お店始めた時にその独楽を持って来たおばあさんがいて、私も何か知らなかったから聞いたら、ばい、独楽だって言うの。それで、そのおばあさんが独楽はよく回るものだから商売の縁起物だって言ってくれたの。それで、面白いから、ばい屋にしたのよ、何と言っても売り買いするところだから」
「――で、ございます」
「お友達は、この辺の人じゃないの?」
「東京から無理やり連れて来たんやで」
「もう、ピアノちゃん、冗談言ってー」
 それが冗談じゃないってことは、誰にも信じてもらえないだろうなと思った。
「私も東京から旦那に無理やり連れて来られたから一緒よ!」
 二人の話しは変な噛み合い方しているし、間違いなく、それは一緒じゃなかった。
「そう! それだったら、お土産に…… これなんて、どう? 新品、入って来たばかりで値段はまだ付けていないけれど、安くするわよ」
 差し出されたのは、真珠のイヤリングだった。短いプラチナのチェーンの先に小さな真珠が付いた質素なデザインで、正直なところ欲しいなと思った。
「まあ、お土産ってなると、海の幸か真珠しかないからここは…… って、ほんま海しかないやん、ヤバいな志摩」
 小さな女の子が大人のアクセサリーに憧れるみたいに、私には、このイヤリングはとても魅力的だった。だけど、これから先の生活のことを考えると…… さすがに装飾品は我慢するしかなかった。


「ミチヨのパンダ、どこいった?」
 オサムさんの家に戻ると、私のパンダがあるはずの場所に停まっていたのは古そうな黒いワーゲンのビートルが一台。
 パンダのエンジンの音に気付いたのか、家の裏手から現れたオサムさんは少し変で、慌てた様子だった。
「――ないぞ、なくなってるぞ!」
「それは、こっちが聞きたいわ! ミチヨのパンダどこ行ったん?」
「そうじゃなくて! ミチヨさんの下着だけが、きれいさっぱり消えてんねん!」

 その後は、まあ、話しがごちゃごちゃし出して、全ての問題が私のことだけに、本当に私は消えて居なくなりたいぐらいに恥ずかしかった……
 ピアノは、オサムさんが勝手に洗濯物を取り込もうとしていることや、なぜ、私の下着だけが無くなっていることに気付いたのか、ということでオサムさんを問い詰めると、昨日、自分の服だけが洗濯もされずそのままになっていたので(かわいそうに)、洗濯をして干しに行ったら、たまたま偶然、私の下着が眼に入ったとのこと(仕方ない)。そしてさっき、自分の洗濯物と一緒に、ついでに取り込もうとしたら(有難い)、私の下着だけがないことに気付き(申し訳ない)、ちょうどそこへ私達が帰ってきて、今に至ると丁寧に説明してくれた。それに対してピアノは、オサムさんの下着は私の服と一緒に洗えないし(いやいや一緒でいいです)、それに、なぜ友達の下着をちゃっかり見ているのか(視界に入るよね)、挙句の果てに、勝手に取り込もうとしてるとかふざけんな(ほんと有難いです)、とオサムさんに言い寄るので、ここは、さすがに私が割って入った。これ以上、私の下着のことなんかで喧嘩されるのも困るし、何より、これ以上の辱めってないでしょう…… それよりも、私の心配は私のパンダのことで、そのことについてオサムさんに尋ねると、オサムさんのお世話になっている車屋さんが持っていったとのことだった。そして、代車としておいていったのが、あのビートルなので、ビートルは、オサムさんが乗り、黒パンダは、引き続き私が使ってもいいとのこと。私は、ちょっと安心した。
 細かいことや、もはや私とは関係のない日々のことで、まだ言い争っていた二人を引き連れるように家の中へと入った私は、玄関の脇に置いてあった調律道具の入ったトランクを見てふと思い出す。どこから、どうみてもそこにあるのはトランクだけで、財布はなかった。
「そうそう、それな、車、持っていってもらう前に、ちゃんとトランクは引き上げておいたで!」
「パンダから出したん、これだけなん?」
「そりゃ、気を利かして出しといた」
「やっぱ、バカだ……」
「お前、馬鹿ってなんやねん!」
 またもや、始まりそうな終わりのない喧嘩、そして、今日という散々な一日に、私も二人と同じで、どうかしていたのだと思う。
「もう、分かったから、二人とも聞いて! まず、私の前で喧嘩をしないこと! はっきり言って迷惑! で、次に、お客さん扱いも止めて! むしろ、それが喧嘩の原因になっているなら、なおさら不要! その上で、しばらくお世話になるから、役割分担として、洗濯と食事の後の洗い物は私がします! はい、異議なし! 以上!」
 ポカンとする二人をその場に残し、私は本の部屋に入りドアを閉めると、一気に押し寄せた疲れからか布団に倒れ込んだ。すぐに襲い始めた眠気と閉じかけた意識の中で、居心地悪そうにポケットに入っていた下着を掴んで適当に投げると、ようやく下着の呪縛から解放された気がした。
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