2004年8月2日 コーディーの作詞ノート [ 2 ]

文字数 2,330文字

 会場にアナウンスが流れたけど、ほとんどの人は聞いちゃいなかった。そして、今宵のライブの中止は、ひっそりと告げられた。ホールを見渡しても最後まで残っていた数人の客が引き上げるだけで、そもそも数ドルの安いチケットだったからか誰も文句を言わず、バーカウンターの方は相変わらずライブとは関係なく盛り上がっていた。あのバンドが本当は存在していなかったのだろうかと思わせる程、俺は訳が分からなかった。家に帰ったらレコードも無くて、ラジオを聴いた日からずっと夢を見続けているのだろうか…… しかし、会場の壁に貼られた今日の日付のポスターにはしっかりとあのバンドの名前が書いてあり、何より、俺はあのバンドのTシャツを着ていることは確かだった。


 どこかへ俺の気持ちは飛んでいったかのようにふらふらと歩きながら、気付けば会場の外に居た。時折、人が出入りする扉が開くと中の喧騒が溢れ出し、閉まると何事も無かったように静まり返る。会場はキラキラとして楽しそうに見えたけど、そんな風に眺めていた俺は独りで、怒りとか悔しさとかの感情は全く無くて、ただ、なぜなんだろうという思いでいっぱいだった。アツカネは楽しそうにしている様子だったから放っておいても問題無いだろうが、このままだと俺が素直に帰れそうにもなかった。

 誰かと話をしたかったが、今の俺は独りだ。とりあえず、どこかへ行ってしまった俺の気持ちが戻ってくるまで夜風に当たりながら過ごそうと、俺は会場の前の通りを横切り反対側の歩道へ向かうと、暗がりの中、営業を終えた店の入口に座り込んで瓶ビールを飲んでいる奴が居た。
「ヘイ、そこのお前! 今晩のショウを観に来たのか?」
 暗くてよく顔も見えなかったが、辺りには声を掛けてきた奴と俺の他に人は居なくて、その男の声は明らかに俺に向けられていた。そして、よくよく掛けられた言葉の意味を考えてみると、『今晩のショウ』という言葉がじわじわと空っぽになっていた俺の心に沁みてくる。
「なあ、そうだろ? そのTシャツ、そんなもん着てる奴が西海岸に居るなんて全く驚きだよ」
 誰だが知らない奴のこの馴れ馴れしい口調は、今のこの俺の憂さを少しぐらい晴らしてくれるかもと思った。
「まあ、お前も一緒に座らないか? ビールなら、まあ、ここにたくさんあるし」
 男はそう言うと、身体の後ろから旅行用バッグを引き摺り出し、中から瓶ビールを一本取って俺へ投げてよこした。慌てて受け取った手の中の瓶ビールは冷えていた。

「世の中はクソだよな。全く思い通りにはならない。でも、どこかでこうなることも少し分かってた自分もいて、そんな自分とはこれからも付き合っていかなきゃならない……」
 どこの誰だが知らない男の隣に座りながら、俺はその男の愚痴を黙って聞いていたけれど、何だか昔からのダチの話を聞いているようだった。そして、何となく俺に似ているとも思った。
「――ビールは裏切らない、どこで飲んでも同じ味だ。だけど、状況がこれを不味くする。美味くないビールを飲むしか今の俺に出来ることはなくて、また同じことの繰り返しだぜ、まったく……」
 どうせ行くところもなく、誰かの声を聞いていることで安心出来たから、貰ったビール一本分ぐらいは付き合おうと話しを聞いていたが、いつしか、そんなことも忘れ、男の話を聞きながら自分のことを考えていた。この妙な時間が過ぎてゆく中で、この男の話とビールが今晩のショウが飛んでしまった少しぐらいの埋め合わせになるかもと思ったりしながら。
「――楽しみに今晩のショウへやって来た奴、つまりお前もだよな? そいつらの気持ちを少しは考えろって思わねえか? 思うだろう? 本当に馬鹿げてる! クソみたいなバンドだよ、まったく……」
 空になった瓶を両手で握り締めながら、この男も俺も、この空っぽになった世界に対して不満だらけだと感じていたのだろう。そんな空虚な世界の為に音楽はある筈なのに、その音楽すら今の俺達には無い…… でも、それを認める訳に俺はいかなかった。
「あのさ…… 今晩のショウが無くなったのは非常に残念だと思うけどさ、何となくだけど…… また、いつの日か、あのバンドのサウンドや歌詞を聴けると思うことで、どうにか折り合いをつけることしか今は出来ないんだと思うんだよね…… 俺達ファンって、そういうもんでしょ?」
「それは無いな。絶対にない。そして、お前は勘違いをしているから訂正してやるが、俺はあのバンドのファンでは無い。そして、あのバンドは今晩解散したから二度と演奏することも無い」
「ちょっと、一体何だよアンタ! アンタがファンじゃないのは、俺にとってどうでもいいけどさ、解散したって、どこで聞いてきたんだ? 関係者でもあるまいし、デタラメいうなよ! ただでさえ、俺は今晩のことで気分は良くないんだよ!」
「関係者だ? バカ言うなよ、本人が言ってんだから、そうに決まってるだろ! あのバンドは解散したんだよ! 二度とショウが行われることないんだよ!」
「え? 本人? って、あのバンド?」
「ああ、俺が歌詞を書いて、曲を作ってるのだから…… いや、正しくは作ってただな、もう、どうでもイイが、そのボーカルの俺が解散したと言ってんだから、嘘じゃないだろ? まあ、落ち着こうぜ、お前はそんなこと知らなかったから仕方ないな、すまなかった。この夜はこれ以上、悪くなることもないだろうよ。どん底だよ、今が最底辺だ」
 そう言った男は、空になった瓶を路上に投げ捨てた。コンクリートの上で甲高い音を立てながら跳ねた硬い瓶は割れもせず、路肩に転がって止まる。その後の静寂は、より一層深くて、耳の奥では瓶の音が鳴り響いたままだった。
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