1994年7月16日 [ 3 ] 

文字数 2,505文字

 家に戻った私達は、ビン玉や本を家の中へとせっせと運び込む。その賑やかさに、明らかに寝起きのオサムさんが玄関に現れた。
「ごめんなさい! 寝てるって知らなくて」
「いや、かまへんよ、晩飯まだやから、ちょうど起きよう思ってたし…… で、この大量の本の方が、気になるんやけど」
「オサムのためを思って、わざわざ志摩中を駆けずり回り、ミチヨと二人で集めてきたんやから、感謝しなされ」

 三人で簡単な夕食を済ますと、私の使っている部屋へ貰ってきた本を運び込んだ。
「さてさて、それでは、お披露目タイムといきましょか! オサムが本の内容チェックして、場所を指示してくれてたらワタシとミチヨが本棚に入れていくから」
 本を束ねていた紐を切り、私はオサムさんへ一冊渡す。パラパラと内容を確かめたオサムさんは、本棚を見ることもなく、列と段を的確に指示し、そして、どの本の横に並べるのかまで言いつつ、それにより、入らなくなる本をどうするのかまで言ってのけた。
「ほんま、あんたの頭の中、どうなってんの? よくもまあ、こんなこと覚えてるな」
「だいたいでしか覚えてないで…… あー、これは、見たことない本やな。面白そう、すぐ読むランキング上位やわ。で、これも、知らんなー、よくもまあ、こんだけ良書集めたな、すごいわ」
 ほら、得意げなピアノの顔を見てごらん、と言いたいところだが、熱心に本を品定めするオサムさんが、そんなことに気付くはずもなく、その代りといっては申し訳ないが、私がピアノの為に音を鳴らさず拍手のまねをしてあげた。
「これ、貰ってきたん片田やろ、英語の本混じってるし……」
 何のことだか分からない私がピアノの方を見ると、ピアノはまだ得意げな顔を崩さず、オサムさんがその顔を見るまで意地でも止める気はないのだと無言で主張し続けていた。
「なー? 片田やろ? なんや、その顔! ほめてほしいの? 分かった分かった、ピアノちゃんは、すごいねー」
「早よ、気付け! ずっと同じ顔でいるの疲れるやん!」

 何だよ、それ、と思ったが、そんなことより、私が気になるのは、その「カタダ」の方だ。
「そやで、片田。だから、英語なんちゃうの。はい、詳しい説明は、あんたからどうぞ!」

 オサムさんが説明してくれた内容は意外だった。幕末から明治期に掛け、片田村に生まれ育った「伊東里き」こと、通称おりきさんは、横浜でメイドとして仕えていたアメリカ海軍大尉の帰国に伴い渡米し、アメリカ人と結婚し娘を出産、そして、富を築き渡米から五年後に帰国。片田の人々は、おりきさんのその姿、話す言葉のあまりの変わりように驚いたとのことだった。さらに、アメリカの賃金の高さや、おりきさんの話しを聞いてアメリカに憧れを抱いた片田の男女七人を引き連れ再度渡米したおりきさん一行は、カリフォルニアで苦労もしながらもお金を稼ぎ、片田に残る家族へ送金した額が当時の村の予算の三倍に達し、さらに村民を驚かせた。その後、片田村はアメリカ村とも呼ばれるようになり、二百人以上もの人々がおりきさんを頼り渡米したとのこと……

「――そうなんだ…… じゃあ、私の着ているこの服も、片田出身の誰かが送ったのか持ち帰った物かもしれないね」
「そうそう、そうでもなければ、こんな片田舎にアメリカの物が紛れ込むなんてありえへんしな」
 オサムさんはパラパラと捲っていたアメリカの雑誌の中から、一枚のポストカードを発見した。
「古いけど未使用のポストカードやな…… 何の建物の絵や…… これホテルか」
 そういって渡してくれたポストカードをピアノと覗き込む。こじんまりとしたビルを写実的に描いた絵が印刷されている、少し色褪せたカラーのポストカード。
「これ、なんて看板に書いてる、ホテル…… チェリサリス?」
 オサムさんは英語の辞書を本棚から取り出すと単語を調べる。
「読みは…… 『クリサリス』やな、意味は『さなぎ』やって」
 クリサリス…… 絵を取り囲む白い枠の隅には、「サンフランシスコ、カリフォルニア」と記してあった。
「まじまじと見てミチヨ、そんなに気に入ったんやったらあげるで」
 ポストカードは好きだし、古い物は味わいがあって素敵だ。それにしても、ビン玉の時のように、そんなに私は欲しそうな卑しい表情が顔に出るのかとちょっと心配にもなる。でも、こういう時は、素直に受け取ればいい。これは、ピアノから学んだこと。
「ありがとう、嬉しい」
「それなら、まだポストカードあったな…… ピアノの後ろの棚の上から三段目の本の上に古いポストカードのセットあるし、それもあげるわ」
 二人の海女さんが海に佇む古そうなポストカードセットのカバーには、「志摩半島」と赤い文字が大きく印刷されていた。中を開けると八枚のポストカードが入っており、この辺りの風光明媚な風景、それも古い時をそのままに閉じ込めた景色がいくつも広がっていた。
「灯台…… って、イイね」
「ミチヨ、灯台好きなんやったら早く言ってやー。あるで近くに、立派な大王崎灯台が! しかも、何を隠そう、オサムのおじいちゃんは、そこで灯台守をしてたんやから!」
 灯台なんて見たこともなかったし、ましてや灯台守なんて言葉を辛うじて知っているぐらいで、詳しくは何も分からない。せっかく近くにあるのなら一度は尋ねてみたくなった。
「じゃあ、明日行こ! 決まり!」

 床へ就く前に私は、クリサリスのポストカードを眺めながら、ふと自分の部屋に貼ってあった剥がれかけのポストカードのことを思い出した。もうその身に耐え切れず、床へ落ちているかもしれない。今、最も遠くにあった現実へ急に引き寄せられた私の眼に映るのは、この部屋の隅に置いてある大きなビン玉。貰ったはいいけど、あれを自分の部屋のどこに置けばいいのだろう…… そして、いつ、私はここを発たないといけないのだろう……
 馬に始まり、ビン玉とポストカード、今日もまた、妙な一日だった。馬のことなんて、思い返しただけでも鳥肌が立つ。でも、また行き詰った私は、黒い馬の後ろ姿を見失った。また夢の中に出てくればイイのに…… と私の意識は霞み、長かった一日が終わる。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み