2004年8月2日 コーディーの作詞ノート [ 3 ]

文字数 2,769文字

 男があのバンドのメンバーだと分からなかったのには理由がある。まず、レコードには一切写真が無く、インターネット上に簡単なバンドの紹介ページはあったものの、そこにもメンバーを特定できるような画像は無かった。色々と調べてみたがどこにも無くて、バンド名とボストンで活動していることと、所属しているレーベルぐらいしか情報はなかった。生で演奏を聴くことは叶わなかったけど、こうしてメンバーと話をしていることに突然気付かされて一瞬だけ正直なところ舞い上がりそうにもなった。でも、そんな貴重な機会よりも、同じような気分の奴に今夜出会えたことの方が俺には嬉しかった。まあ彼は、俺のその原因を生んだ張本人でもあったけど、結果、行き着いた先は二人共同じだった訳で、俺達には会場外の道端がお似合いだったし、今宵、ここ以外に二人には居場所が無かったのかもしれない。
「もし嫌なら無理に言わなくてもいいけど、なぜ、バンドは解散したの?」
 彼はバッグから新しいビール瓶を取り出し、勢いよく一口飲むと、真っ直ぐ会場を見据えたまま話し出した。
「くだらない喧嘩さ。俺のやり方が気に入らないとか何とか…… そんな訳で、そのまま解散。他のメンバーは乗ってきたバンで帰っちまうし、俺にはこのバッグ一つ、ギターも何も無いから、借りてでも演奏しようとオープニング・アクトのバンドにギターを貸してくれって頼んだら見事に断られたよ。それならアカペラで歌ってやるとステージへ行こうとしたらスタッフに止められて、楽屋のビールやるから帰れってさ…… 帰ろうにも、どうやって? 俺は、どこへ行けばいいんだ?」


 アツカネは今晩知り合ったばかりの連中と随分と楽しんでいる様子で、まだ店に残るらしく、その後もサユリの所へ行くとのことで、その場で別れた。そして俺は今、大きなバッグを抱えた男と夜の静まり返った街を歩いている。宿もない彼を路上へほったらかしにして一人で帰るのも悪いし、何よりビールをごちそうになった手前、俺の部屋なら友達が置いていった寝袋もあったから…… 本当は、もう少し話がしたかったからで、男は寝られるならどこでもイイと喜んだ。

 一時間程、男と話をしながら歩いていたが、音楽のことや世界のこと、生活の些細なことに至るまで、内容は何でも面白く、そして、どれも意見は一致していた。こんなに気が合う奴に会ったのも初めてで、俺はこの世界に独りじゃなかった。同年代の友達に無い知識と経験、何より歌詞に書かれていたことが現実に語られる様は、ファンにとってはたまらない。少しでも良く見られたいという気持ちが俺を背伸びさせ、知らないことでも知った振りなんかして、話を聴いている内にクリサリスへと着いた。

 フレッドがカウンターに居たら男を紹介しようと思ったけれど、今晩はバーがやっていなくて、誰も居ないロビーは薄明りの中にぼんやりと浮かんでいた。
「おい、ここは表に書いてあったようにホテルなのか? それとも、ホテルの振りをしたスピークイージーなのか? とにかく、居心地は悪くないどころか、むしろ良さそうだが」
 クリサリスの紹介もそこそこに、俺の部屋へと向かった。
「あの扉が共用バスルーム、ここが俺の部屋、キッチンはそっちで、まあ、散らかってるけど、どうぞ中へ入って」
 人を招待するなら片付けておけばよかったといつも思うけど、それはいつも手遅れで、この部屋が片付いていたのは引越してきた頃だけだった。部屋を見た男はミュージシャンにしてはキレイな方だと言ったが、一体、世のミュージシャンは、どれだけ汚い部屋に住んでいるのだろう。そして、ゴミ溜めみたいなベッドルームからイイ音楽は生まれるんだと男は付け加えた。
 俺のレコードのコレクションを一枚一枚手に取りながら、男はそのバンドや曲の感想を語ってくれた。中には知り合いだというバンドのレコードもあって、聞いたことも無い裏話も聞かせてくれた。そして、自分のバンド、いや、だったバンドのレコードを手に取ると、ありったけの汚い言葉を吐いて元メンバーのことをけなしたけど、まあ、今日のところはそれも仕方ない。
「――つまりだ、このバンドはすでに存在していない。いや、本当は存在していなかったのかもな。そもそも、これは夢か幻、ずっと質の悪いドラッグにうなされていただけで、久しぶりにシラフに戻っただけなのかもしれないな」

「――いつの日か、お前の曲が出来たら、俺に送ってよこせ。そして、ボストンへ来い。その時は、俺のショウのオープニング・アクトで出してやるよ」
 たくさんの話を男とした。空は徐々に明るさを取り戻し、ビールはとっくに尽きていた。そして、俺は強烈な睡魔に負け、続きは起きてからにしようと言って寝床に入ると一瞬で眠りに落ちた。


 翌朝、いや、夕方頃に起床した俺は、部屋に男が居ないことに気付く。バッグも無かった。もちろん、キッチンにもバスルームにも居ない。ロビーへ行って、フレッドに男を見掛けなかったかと尋ねたけど、知らないとのことだった。たくさんあった空き瓶もキレイさっぱり部屋から消えていて、男の痕跡は何一つ残されていなかった。
 その後、気付いたことだけど、あのバンドのレコードが俺のコレクションから消えていた。いつも散らかっていた部屋だから気付くのに時間が掛かったが、洗濯しようとライブに着ていったTシャツを探したけど、それも見つからなかった。こうなると、あの日の記憶さえも疑わしくなってくる。『夢か幻』と言った男の言葉を思い出して、案外そうなのかもしれないと思ってみたりもした。
 ランドリールームで乾燥機が回るのを眺めながら放心したままだった俺は、突然、あることを思い出し部屋へと戻ると、散らかった部屋の中から一冊の本を何とか探し出した。本を開くと、そこにはちゃんとあのバンドのステッカーが挟んであった。

 結局、全て本当のことだった。レーベルのインターネットのページからは、あのバンドの名前が消えていて、インディーズの音楽情報サイトには、話題にもならない程度の短い記事だったがあのバンドの解散のことが記されていた。
 俺は、随分と迷った挙句、あのバンドのステッカーを大事な一本しかないエレキギターのボディに貼った。そんなギターを弾いてみると、古い思い出みたいにあの日のことを回想していた。
 男の名前を聞くこともないまま、連絡先も知らず、熱い言葉を口にする男の薄い碧眼だけが印象に残っている。ラジオであのバンドの音楽を聴いた日から今日まで、俺にとってはイイ日々で、きっとこれからもそうだと願っている。何も知らなくても、あの男が音楽を続けていたら、いつの日かラジオから流れてくるかもしれない。そして、また彼に会えたら、今度こそは名前を聞いて、再会を喜びたいと思う。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み