2004年8月3日 [ 2 ]

文字数 3,254文字

 私の方がクリサリスへ着くのが早かったようで、ロビーでしばらく待っていると眠そうな顔したフレッドが扉を開けて現れた。
「ホウ、夢じゃない。ミチヨは、ここに居る」
「本当にゴメンね、フレッド。でも、何だか時間が…… そう、もう無い気がして、悪いとは思いながらも電話したの」
「ホウ、それはかまわない、ミチヨの助けになるなら何だってするよ。ホウ、それで、クリサリスの何が知りたいんだ?」
「ありがとう、フレッド。私が知りたいことだけど、あなたが大学からここへ戻ってくるまで、クリサリスはお父さんが経営していたと言っていたよね?」
「ホウ、そうだな。大学は天才の卒業を――」
「――そうよね、大学はもったいないことをしたわね。でも、あなたがちゃんとクリサリスを続けてくれたから、今、こうして私達は話している。だから、イイじゃない! それで、お父さんが経営していたということは分かった…… もし、言い難いことなら悪いのだけど、あなたのお母さんは、どうしていたの?」
「ホウ、そのことか……」
「ゴメン、やっぱ言いたくないことだったかな……」
「ホウ、ミチヨ、心配は無用だ。ホウ、これは、俺もよく知らないんだ。なんせ、俺が小さい頃に亡くなったからな」
「そうだったんだね。お気の毒に……」
「ホウ、そうだな、気の毒なことだ。だから、俺には母親のことがよく分からない。ホウ、そういえば親父のこともよく知らないな!」
「ちょっと、ちゃんと育ててくれたんだから、お父さんは! まあ、とにかく、それで、お父さんやお母さんのことで、何かないかな…… 例えば、ここに関すること、クリサリスについて分かるようなことだけど」
「ホウ、そういや、そんなこと何も気にせず今まで暮らしていたな。俺が知っていることなんて、そうだな、親父の心は蛾にイカれてしまっていたってこと。ホウ、クレイジーなぐらいにさ!」
「そうね、クレイジーよね。これを見たら誰でもそう思うけど、じゃあ、なぜ、あなたのお父さんは蛾をコレクションしていたのかしら?」
「ホウ、それは考えもしなかった! 物心付いた頃から俺は蛾と共に育っていたからな。ホウ、確かに! 友達の親父は、こんなものを集めてはいなかった! 俺のファミリーは、クレイジーだ!」
「何か、それが分かるような思い出とか物はないかな? 例えば、お父さんが大切にしていたものとか…… そうね、私の予感なんだけど、お母さんのことで何か分かる物とかないかしら?」
「ホウ、ミチヨは、やはり探偵だな! 鋭い、鋭いよ、質問が! ホウ、面白くなってきたぞ! ホウ、そうだな、少し考えさせてくれ…… いや、あるな、まず、写真がキッチンに飾ってある! こっちだ!」
「見せて!」
「ホウ、これだよ、これ! ホウ、ほらここに、まだ幼い俺も写っている! 可愛いだろ? まだ、ベイビーだ」
「そうね、カワイイ赤ちゃんフレッドだね。それで、この人がお母さんで、この人がお父さん?」
「ホウ、そうだ。これで、分かっただろ? 俺は母親に似ている! 親父に似なくて良かったってことだ。ホウ、老けた時、こんな気難しい顔になるなんてゴメンだ!」
「確かに、フレッドはお母さんに似ているね。ところで、この写真、この場所ってキッチンだよね? でも、この感じ、ここのキッチンと違うよね? どこか別の場所かしら?」
「ホウ、ミチヨは何でも鋭い。そんなこと、全く考え付かなかった! ホウ、しかしだな、俺も随分幼い頃のことだから、さすがにこの天才でも、そこまでは分からない。ホウ、きっと、この後、才能が開花し始めて――」
「――そうね、きっとそうだよ。この後、フレッドは天才になったんだわ。それにしても、何か手掛かりはないかしら…… ねえ、フレッド、この額縁だけど、開けてもいいかな?」
「ホウ、それはスゴイぞ! 少なくとも、俺は開けたことはない! ホウ、いつも、ここにあったが、一度も開けたことはなかったぞ! 開けよう!」
「うん、慎重にね。そうそう、ゆっくりでいいから」
「ホウ、これでよし! ホウ、それで、どうだ、何かあるかな?」
「あっ! 何か書いてあるよ! 写真の裏、ここ!」
「ホウ、字が小さい、ここは暗いから、あっちの灯りの下で見てみよう」
「何て書いてある?」
「ホウ、読むぞ…… メーガン…… 生前最後の写真…… ホテル…… クリサリスのキッチンにて…… ホウ! これは、俺の母親の最後の写真だったか!」
「メーガンさん…… 素敵なお名前ね。それにしても、これって、クリサリスなのよね?」
「ホウ、確かに、ここには、そう書いてあるが……」
「でも、このキッチンではないわよね。上の階とか?」
「ホウ、いや、このサイズのキッチンは、ここにしかない。ホウ、二階も、ミチヨが知っている三階と同じ狭いキッチンだからな」
「じゃあ、この写真に写っているクリサリスは別の所?」
「ホウ、それもない、クリサリスはずっとここにあるはずだ」
「困ったね、この写真が撮られた場所が分からないなんて……」
「ホウ、そうだな、この辺りで一番古いのがウチのホテルだから、近所に聞いても誰も分からないだろうな」
「これ以上、今はこの写真から分かることは無さそうだね。他に、お父さんやお母さんの持ち物は何かないかな?」
「ホウ、そりゃ、そっちの部屋にたくさんの蛾なら居るぞ! 全部、親父の物だ!」
「ああ、確かにそうだったね…… あれを全部調べるとなると何日掛かるか…… ねえ、蛾のコレクションは一度忘れてさ、蛾以外のお父さんの形見とかないの?」
「ホウ、蛾しか親父の思い出なんてないからな、困った……」
「そうね、何か大切にしていた物とかない?」
「ホウ、そりゃ、そっちの部屋にある全部さ」
「やっぱり…… そうなのね。覚悟決めるしかないか……」
「ホウ、ミチヨは、何をする気だ? ホウ、まさか! あの部屋の物を全部見るつもりか?」
「うん…… それしかないなら、そうするまでよ」


 私達は、蛾の部屋を見回しながら、どうするか考えていた。闇雲に見ても埒が明かない。手掛かりとなる何かを探すにしても、まだターゲットを絞れる筈だと。
「ゴメンね、フレッド、私の我儘に手伝わせてしまって」
「ホウ、そんなことはない、これは俺のことでもある。ホウ、俺はバカだよ、今日まで何も知らず過ごしてきたことの方が恥ずかしいぐらいだ」
「そんなことはないよ。私も自分のウチのことなんて、ほとんど知らないから…… それよりさ、ちょっと思い付いたんだけど、ここで眼に付くものは蛾ばかりだよね? でも、この中に蛾に関係ないものがあれば、それって不自然だよね。もし、あればの話だけど……」
「ホウ、確かに、それは奇妙だな。これだけ蛾で部屋を埋め尽くしておいて、蛾ではないのは異質だ。ホウ、そんなこと考えもしなかった! ミチヨは、さすが探偵だな!」
「ありがとう、じゃあさ、手分けして、まずは蛾に関係ない物があるか探してみない? それなら簡単だからさ」
「ホウ、そうしよう! でも、何でそんなこと思ったんだ?」
「お父さんのコレクションでしょ? この蛾達は…… それならば、もし蛾ではない物があれば、それはお母さんの物なのかなと思ったの」
「ホウ、それは興味深い!」
「早速、手分けしよう! 私はこちらから見ていくから、フレッドは、そちらから調べてみて! 絶対に見落とさないでよ? 何一つ!」
「ホウ、任せてくれ! これでもミチヨの探偵助手だよ!」


 直感、もしくは偶然、それは探し始めてすぐに私が見つけた。脚立に上り、本棚の上にあった箱を床に下ろし、蓋を開けるとたくさんの雑貨が詰まっていた。蛾に関する物ばかりの中に、デザインも模様も雰囲気も蛾の要素を全く感じさせない、女性が好みそうな装飾のされた小箱があった。私は、大事な物を入れておきたくなるようなその箱を手に取り蓋を開けると、中には高価ではなさそうなアクセサリーがいくつか入っていて、その下には私が持っていた、あの同じクリサリスの古いポストカードがあった。
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