2004年8月2日 コーディーの作詞ノート [ 1 ]

文字数 2,313文字

「ヘイ! アツカネ! こっちだ!」
 喚き立つ人の群れ、酒とタバコ、ジョイントの匂い、声を掛ければ誰とだってすぐに仲良くなれる、そんな音楽ライブの高揚感が俺は好きだ。何か、とんでもないことが始まる予感、見たこともないパフォーマンス、聴いたこともない曲がいつも待ち遠しい。いつもは見上げているステージだけど、きっとあそこからの眺めはイイもんだろうな。
「ハイ、コーディ―、調子は? ええっと、そのノートに何を書いていたの?」
 いつも持ち歩いている小さな作詞ノートは、店で売っている一番チープなやつがお気に入りで、これまでに何冊買ったか覚えていない。とりあえず、思い付いた曲の歌詞を書き留める為に持ち歩いているけど、いつか作ろうと思っているレコードのカバー・デザインのラフをたくさん描いたりもしている。これだけアイディアがあればアルバムもシングルもリリースには困らないぐらいに。だけど、まだ曲は一曲も出来ていないし、ここに居る誰もが俺のことをミュージシャンになるなんてちっとも考えていないだろう。そんな奴らが驚くような曲やアイディアを忘れないようにする為にノートも大事なメンバーだ。
「ああ、いつもの歌詞だよ。この雰囲気、ライブがもうすぐ始まるぞって感じをさ、曲に出来たら俺のライブの一発目にやるにはイイかなって。ここから世界を奮い立たせる! さあ始まるぞ! そんな歌さ」
「出来たら、一番に聴かせてよ?」
 アツカネがクリサリスへやって来た日。みんなでロビーの掃除をして、その後、パーティーをすることになり、ちょうど歳が近そうだし、一度日本人とじっくりと話してみたかった俺はアツカネを酒の買い出しに誘った。始めは全くといっていい程喋らなかったシャイなアツカネだけど、店で買ったばかりのビールを一本即行で開け、回し飲みしながら歩いている内に俺達は簡単に打ち解けるごとが出来た。やはり、ビールの力は偉大だ。
「さあ。入ろうぜ。今夜のライブが始まる!」

 入口でIDを見せ、金を払い中へ入ると、押し寄せる人の熱気と共に、まだ前座のローカル・バンドの演奏は続いていた。ぎこちなさはあったけど、サウンドはイイ感じ。いつか俺がステージに立った時、俺もこんな風に思われるのだろうか。それとも、ここまでの演奏すら出来ずに終わるのだろうか。フロアー側から見ているステージとステージから見るフロアー、あっちの景色はどんな風にこの世界が見えるのだろうか。
「コーディ―、ビールを買いに行かない?」
「俺は…… 今は飲まない。ちゃんと見ておきたいバンドの演奏があるんだ」
 目当てのバンドはボストンからはるばる今夜ここへやって来てショウをする。まだまだインディーズでもマイナーなバンドだけど、カレッジラジオのDJが曲を流しているのを偶然耳にして、俺はすぐにレコード屋へと走った。だけど売ってなくて直接レーベルから取り寄せて買った7インチを盤面が擦り減る程聴いたし、送料が無料になるならと一緒に買ったTシャツはくたびれる程に着倒して、こちらもボロボロだ。でも、このバンドのレコードは年上の知り合いのコレクターも持ってなかったし、ましてやバンドTシャツなんて着てる奴は俺の他に周りには居なかった。さらに、おまけで付いてきたステッカーは、貼る場所に悩んで今も大事に本に挟んである。

 曲というのは不思議で、似たようなことを古今東西のミュージシャンが歌っているのに、それぞれに違う。もちろん、俺の耳に偶然届いた曲だけがそうではなく、きっと聴いたこともない曲もそうなのだろう。そして、そんな曲のことを時々考える。全く売れなくて、ほとんど誰も知らない曲の中にスゴイ曲もあるだろうし、そんな中にも、ある人にとっては人生になくてはならない曲もあるだろう。俺の曲が誰かにとってそうなれば嬉しいし、この世界のどこかには俺の曲を気に入ってくれる人が居て、いつかそんな人達の声を直接聴いてみたい。


 いよいよ次が待ち望んだバンドの出番だった。ホールに立っている人の間をすり抜けて俺は最前列の方へと割り込む。今宵、満員じゃないのはバンドの人気が無いのか、それとも、ただ知られていないだけなのか分からなかった。だけど、きっとライブを観た奴らは俺が初めてラジオでこのバンドの曲を聴いた時みたいな感動をこの場で味わうことになるのだろう。そう考えるだけで、もうすぐこの場がとてつもない空間に変化する期待に胸を膨らませ、良い位置をキープしながらホールに流れるBGMでリズムを取りつつ、今か今かと登場を待っていた。

 始めは焦らしている程度だと思っていた時間も、やがて奇妙な雰囲気が漂い出し、それでもバンドは一向にステージへ出てくる気配は無かった。それどころか、店のスタッフがステージ上で何やら話し込んでいる。この不自然な状況にホールからは次第にヤジが飛び始め、熱心なファンでもなく、ましてや音楽好きでもない出会いや今晩の遊び場だけを求めて集まってきた連中は、店の中のバーカウンターのある方へと移動し、ホールからは徐々に人気が消えていった。いつまで経ってもバンドは現れず、俺はステージの真ん前で独り立って待っていた。少し酔っぱらったアツカネが見知らぬ奴と肩を組んで俺の方へとやって来て、一緒にバーで飲まないかと言ってきたが、俺がその誘いを断ると、その見知らぬ奴と騒ぎながらバーの人混みの中へと消えていった。俺はアツカネの後ろ姿を眼で追いながら、この世にたった独りで居る気分がした。そして、そんなはずはないんだと振り返ったちょうどその時、ステージのメインの照明が落とされ、スタッフ達は薄暗い中で片付けを始めたのだった。
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